希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

田中菊雄『入門英文法』(1956):なつかしの英文法参考書5

アップルの創業者、スティーブ・ジョブス(56歳)が亡くなった。
年齢的には、僕の同級生だ。

我が家にはアップル社のマックが7台。
僕はMacBook Proを毎日使い、出張では軽いMacBook Airを使う。
電話はiPhone、通勤途中にはiPad、テーブルの上にはiPad

会うことのなかった「友」を追悼したい。

追悼記念に、今日は僕らが生まれた頃に出た英文法参考書をご紹介する。

敬愛する田中菊雄の『入門英文法』三笠書房、1956)だ。

まずは拙著『受験英語と日本人』より、田中菊雄(1893~1975)の人となりを紹介しよう。

田中は北海道に生まれ、家庭の事情で中学進学は無理だった。鉄道給仕や小学校代用教員の合間に、英語を独学する。それには睡眠時間を削るしかない。
自伝『わたしの英語遍歴』(研究社、1960)から若き日の勉強ぶりを見てみよう。

私は睡眠時間節約のために、一切室に火をおかず、床をとらず、端然として机に向って、いよいよ眠くなってたまらなくなると、そのまま外套をかぶってゴロリと畳の上にねることとした。睡眠の深い間はあたかも死んだように寒さも覚えず、やや眠りが浅くなってだんだんと寒くなって目をさますと、すぐまた机に向うという極端な手段をとった。 

米国人に英語を教えてもらうために、勤務のあと毎週3回、どんな吹雪の夜でも1日も休まず、往復16キロの道を5年間通い続けた。疲れはてて、路肩で眠ったこともあったという。

26歳のときに意を決して上京し、鉄道省官房文書課で昼は上司の武信由太郎から英作文を学び、夜は正則英語学校で斎藤秀三郎から講読・文法を学んだ。
武信は『研究社和英大辞典』の初版である『武信和英大辞典』(1918)を主幹するなど英作文の大家。その武信と斎藤から英語を習ったのだからメキメキ実力を付けた。

こうして、難関だった中等教員(1922年)と高等教員(1925年)の検定試験に合格し、旧制の中学校や高等学校で教え、戦後は山形大学神奈川大学の教授を歴任した。
温厚な人柄で、「菊さん」と呼ばれて学生から親しまれた。

著作も多く、なかでも世界最大の英語辞典OEDを凝縮した『岩波英和辞典』(1936年初版)はユニークな逸品である。
独学の経験を活かした『英語研究者のために』(1940年初版)は英語への情熱がほとばしる名著で、講談社学術文庫にも入った。
感動的な『わたしの英語遍歴』とともに、英語をきわめるためのヒントにあふれている。

生徒用には『英語学習法』(1938年初版)が重宝で、学習者の立場に立った「学習法」の画期的な本として人気を博し、田中菊雄の名前を一躍有名にした。

さて、本書『入門英文法』には、そんな田中の独習の履歴が反映している。

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「序」で、田中は次のように述べている。

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独学者にとって、英語の最初の関門は「音声」だ。
入門期に英語の音声に慣れておかないと、英語はなかなか伸びない。
人は文字を見ても、頭で音声変換して覚えるからだ。

本書は三編からなる。

第一篇 英語の発音と綴字 11-82頁
第二篇 品詞  83-238頁
第三篇 文  239-258頁

このように、第一篇の英語の発音と綴字に72頁を割いている。
本書の本文が全258頁だから、全体の28%にもなる。
異例の文法書だといえよう。

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発音表記では、カタカナを効果的に使っている。
独習者への配慮である。

「第七章 アクセントの話」もわかりやすい。
現在でも使えるのではないだろうか。

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「第八章 イントネーションの話」も、かなり本格的だ。
同じYesでも、発音するときの調子で意味が変わってくるという例は秀逸。

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さらに、第九章では「音の渉(わた)り・同化・省略」にまで進む。
英語の音声にはきわめて重要な指導項目なのだが、入門用の文法書でここまで踏み込んだものはほとんどない。

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敗戦から10年ほどのこの時期、英語界は戦前のイギリス英語からアメリカ英語への切り替えが進んでいた。

本書でも「英語と米語の発音・綴字の相違」が詳細に述べられている。

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こうした音声重視の方針は、本文中にも貫かれている。

たとえば、「第三篇 文」の冒頭を見ても、カタカナでの発音表記を添えている。

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さて、こうした音声重視は、田中菊雄の名著『英語広文典』白水社、1953)を踏襲している。

この『英語広文典』は、田中がOEDを徹底的に読む込むことによって執筆した『岩波英和辞典』(1936)の副産物、あるいは姉妹編である。

その点は『英語広文典』の「序」にも明記されている。

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この『英語広文典』でも、「英語の発音と綴字」に37頁を割いている。

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第一篇の「序説」を除けば、全体の構成は「英語の発音と綴字」「品詞」「文」という流れであり、『入門英文法』と同じである。

なお、田中には『英語の発音と綴字』(星書房、1948)という著作もある。

田中菊雄の本は、どれも熱い。
手を抜いていない。

スティーブ・ジョブスの作品群にどこか通じるものがある。