会うことのなかった「友」を追悼したい。
追悼記念に、今日は僕らが生まれた頃に出た英文法参考書をご紹介する。
敬愛する田中菊雄の『入門英文法』(三笠書房、1956)だ。
まずは拙著『受験英語と日本人』より、田中菊雄(1893~1975)の人となりを紹介しよう。
田中は北海道に生まれ、家庭の事情で中学進学は無理だった。鉄道給仕や小学校代用教員の合間に、英語を独学する。それには睡眠時間を削るしかない。
自伝『わたしの英語遍歴』(研究社、1960)から若き日の勉強ぶりを見てみよう。
自伝『わたしの英語遍歴』(研究社、1960)から若き日の勉強ぶりを見てみよう。
私は睡眠時間節約のために、一切室に火をおかず、床をとらず、端然として机に向って、いよいよ眠くなってたまらなくなると、そのまま外套をかぶってゴロリと畳の上にねることとした。睡眠の深い間はあたかも死んだように寒さも覚えず、やや眠りが浅くなってだんだんと寒くなって目をさますと、すぐまた机に向うという極端な手段をとった。
米国人に英語を教えてもらうために、勤務のあと毎週3回、どんな吹雪の夜でも1日も休まず、往復16キロの道を5年間通い続けた。疲れはてて、路肩で眠ったこともあったという。
26歳のときに意を決して上京し、鉄道省官房文書課で昼は上司の武信由太郎から英作文を学び、夜は正則英語学校で斎藤秀三郎から講読・文法を学んだ。
武信は『研究社和英大辞典』の初版である『武信和英大辞典』(1918)を主幹するなど英作文の大家。その武信と斎藤から英語を習ったのだからメキメキ実力を付けた。
武信は『研究社和英大辞典』の初版である『武信和英大辞典』(1918)を主幹するなど英作文の大家。その武信と斎藤から英語を習ったのだからメキメキ実力を付けた。
こうして、難関だった中等教員(1922年)と高等教員(1925年)の検定試験に合格し、旧制の中学校や高等学校で教え、戦後は山形大学と神奈川大学の教授を歴任した。
温厚な人柄で、「菊さん」と呼ばれて学生から親しまれた。
温厚な人柄で、「菊さん」と呼ばれて学生から親しまれた。
著作も多く、なかでも世界最大の英語辞典OEDを凝縮した『岩波英和辞典』(1936年初版)はユニークな逸品である。
独学の経験を活かした『英語研究者のために』(1940年初版)は英語への情熱がほとばしる名著で、講談社学術文庫にも入った。
感動的な『わたしの英語遍歴』とともに、英語をきわめるためのヒントにあふれている。
独学の経験を活かした『英語研究者のために』(1940年初版)は英語への情熱がほとばしる名著で、講談社学術文庫にも入った。
感動的な『わたしの英語遍歴』とともに、英語をきわめるためのヒントにあふれている。
生徒用には『英語学習法』(1938年初版)が重宝で、学習者の立場に立った「学習法」の画期的な本として人気を博し、田中菊雄の名前を一躍有名にした。
さて、本書『入門英文法』には、そんな田中の独習の履歴が反映している。
「序」で、田中は次のように述べている。
独学者にとって、英語の最初の関門は「音声」だ。
入門期に英語の音声に慣れておかないと、英語はなかなか伸びない。
人は文字を見ても、頭で音声変換して覚えるからだ。
本書は三編からなる。
第一篇 英語の発音と綴字 11-82頁
第二篇 品詞 83-238頁
第三篇 文 239-258頁
第二篇 品詞 83-238頁
第三篇 文 239-258頁
このように、第一篇の英語の発音と綴字に72頁を割いている。
本書の本文が全258頁だから、全体の28%にもなる。
異例の文法書だといえよう。
本書の本文が全258頁だから、全体の28%にもなる。
異例の文法書だといえよう。
発音表記では、カタカナを効果的に使っている。
独習者への配慮である。
「第七章 アクセントの話」もわかりやすい。
現在でも使えるのではないだろうか。
現在でも使えるのではないだろうか。
「第八章 イントネーションの話」も、かなり本格的だ。
同じYesでも、発音するときの調子で意味が変わってくるという例は秀逸。
さらに、第九章では「音の渉(わた)り・同化・省略」にまで進む。
英語の音声にはきわめて重要な指導項目なのだが、入門用の文法書でここまで踏み込んだものはほとんどない。
本書でも「英語と米語の発音・綴字の相違」が詳細に述べられている。
こうした音声重視の方針は、本文中にも貫かれている。
たとえば、「第三篇 文」の冒頭を見ても、カタカナでの発音表記を添えている。
この『英語広文典』は、田中がOEDを徹底的に読む込むことによって執筆した『岩波英和辞典』(1936)の副産物、あるいは姉妹編である。
その点は『英語広文典』の「序」にも明記されている。
この『英語広文典』でも、「英語の発音と綴字」に37頁を割いている。
第一篇の「序説」を除けば、全体の構成は「英語の発音と綴字」「品詞」「文」という流れであり、『入門英文法』と同じである。
なお、田中には『英語の発音と綴字』(星書房、1948)という著作もある。
田中菊雄の本は、どれも熱い。
手を抜いていない。
手を抜いていない。
スティーブ・ジョブスの作品群にどこか通じるものがある。