希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考える、和歌山大学江利川研究室のブログです。

「授業は英語で」の危険性を指摘する文献

書評はありがたい。
「この本はぜひ読もう」というガイドになってくれる。

大修館『英語教育』11月号の「海外新刊紹介」に載った若林茂則先生の書評(89頁)もそうだった。


さっそく注文し、本日届いた。

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外国語の学習は、母語を介さずに、その外国語だけで学んだ方がよいのか?
英語学習の場合、日本語を使わずに、「授業は英語で行うことを基本とする」方が学習成果が上がるのか?

そうした今日的な疑問に、本書は答えてくれる。

著者の研究によれば、外国語教育には翻訳(たとえば英文和訳)が効果的である。
母語の使用は学習に悪影響を及ぼすという証拠はなく、むしろ効果的な外国語学習につながる。

若林氏も書いておられるように、「授業は英語で行う」式の直接法(Direct Method)の暗黙の前提である「教室で現実社会を再現できる」「教室で母語習得と同じ環境を提供できる」「母語話者が一番良いモデルである」などが、どれも研究成果に基づいておらず、少なくとも一定環境では直接法よりも翻訳を交えた教育の方が効果が上がることを示す証拠が存在する。

翻訳による教室活動は流暢さに悪影響を及ぼすと一般的に考えられているが、その証拠はない。

対照分析と翻訳を行った学習者グループの方が、意味に焦点を当てたグループや翻訳なしで形式に焦点を当てたグループよりも高い学習成果を示した例がある。

ただし、直接法がすべての学習者にとって最高だというのが間違いであるのと同様に、翻訳による外国語教育もすべての学習者に良いとは限らず、個人の特性に合った教え方を考えるべきだとも指摘している。

まさに10月15日の和歌山英語教育研究会で林桂子先生(広島女学院大)が主張された、学習者の多重知能(MI)を理解し、各自の良い面を協同学習を通じて伸ばしていくべきだという主張につながる。

近年、ヨーロッパでもコミュニカティブ・アプローチの問題点が指摘され、翻訳や文法指導のあり方、さらには文学教材の意義などに関する再考が進み、一種の「揺れ戻し」が来ているようである。

本書も、そうした反省的な流れの中に位置づけられよう。

本書の特長については、裏表紙に書かれている紹介文が端的に述べている。
今日の多文化共生社会における翻訳(和訳)という方法の持つ積極的な意義を明快に示している点が秀逸である。

Translation has been the outlaw of language teaching since the end of the 19th century. In this book, Professor Cook argues that it is time for a change. He presents translation as a natural and effective means of language teaching and learning, and as a widely needed skill in today's multicultural societies and globalized world,as well as a force for intercultural understanding, language awareness, and the maintenance of identity.

2013年度から実施される文部科学省の新高校学習指導要領では、「授業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」とした。

この方針が、中央教育審議会外国語専門部会の議論を経たものではなく、同議事録にもまったく載っておらず、学問的な根拠もなく、実践的な成果分析に裏打ちされたものでもないデタラメな方針であることを、僕は機会があるたびに訴えてきた。

文科省太田光春氏や立教大の松本茂氏は、「授業は英語で行う」のが正しいと信じるのならば、正々堂々と専門部会で主張し、委員の合意を得て方針化すればよいではないか。
クーデター的な方針の挿入は、自信がない証拠ではないか。

しかし、指導要領に入れてしまった以上、影響は深刻だ。

すべての英語教育関係者は、いまいちど冷静になって、少なくとも日本の言語環境で、また多様な生徒が集まる高校の現場で、全国一律に「授業は英語で行うことを基本とする」のが正しい方針なのかどうかを真剣に考えてみる必要がある。

特に、教育委員会などの行政関係者は、「文科省の学習指導要領に書いてあるから」などと思考停止することなく、子どもたちの成長のために何が一番良い指導法なのかを自分の頭で考えてみる必要がある。

3.11で暴かれた「原子力ムラ」のペテン師たちと同じ道を歩んではならない。

少なくとも、「授業はすべて英語で行うこと」とか、「英語で行った方が効果がある」などと勝手な思い込みで主張してはならない。先生も生徒もたまったものではない。

本書はこうした今日的な問題点を考える上で、時宜を得た重要文献である。

(10.17 追記)
「授業は英語で行うことを基本とする」とした新高校学習指導要領の問題点については、寺島隆吉先生の『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』明石書店、2009)が必読書である。

また、僕自身の見解は『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』(三友社出版、2009)などで述べている。