希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

松村幹男著『別冊 私の歩んだ軌跡ー英学史論考集ー』

まずは,本題に入る前に,本日(7月16)日に大江健三郎さんらの呼びかけで東京で開催された「さようなら原発10万人集会」に,なんと17万人もの人が集まったとの朗報を。


呼び掛け人の一人、音楽家坂本龍一さんは「電気のために美しい日本、国の未来である子どもの命を危険にさらすべきではない」と訴え,大江さんは「原発大事故がなお続く中で、関西電力大飯原発を再稼働させた政府に、侮辱されていると感じる」と怒りをあらわにしたとのこと。

まったく同感です。

野田政権の無定見な原発再稼働によって,反原発の怒りはさらに高まっています。
子々孫々まで安心して暮らせる基盤があっての経済発展。

原発推進論者は,屁理屈をこねても,しょせんはカネ。
もうだまされません。

さて,松村幹男先生の遺稿集とも呼ぶべき『別冊 私の歩んだ軌跡ー英学史論考集ー』(全356ページ)の内容をご紹介します。

3人のお子様による「編纂にあたって」によれば,「この別冊は,松村幹男が広島大学を定年退官したあと,最も大切なライフワークとして取り組んでいた”英学史・英語教育史”に関する論考」を集めたものです。

2部構成で,第1部は,1996年から2011年までの15年間に,日本英学史学会中国・四国支部(旧広島支部)から発行されていた『英學史會報』と後継の『英學史論叢』に掲載された26本の論考から構成されています。

驚くのは,定年退職後も毎号欠かさず投稿し続け,しばしば1つの号に2本,さらには3本もの論考(書評・追悼記事・巻頭言を含む)を寄稿されていることです。

最後の号は2011年5月に発行された『英學史論叢』第14号で,松村先生はその2カ月後に亡くなられたのでした。

文字通り,最後の最後までライフワークであった英学史・英語教育史に邁進されていたのです。

第2部は未発表の「広島英語教育史年表」で,大正に改元した1912年から2002(平成14)年までをカバーし,全185ページに及んでいます。

「編纂にあたって」によれば,「父はこれを完成させることなく亡くなってしまった。これまでの英学史研究のまさに集大成となるはずであったものと思われる。書斎の本棚にまとめて納めてあった資料をもとに作成してみた」とのことです。

こうして,松村先生が最晩年まで心血を注いでこられた「広島英語教育史年表」が公表された学術的な意義はきわめて大きいでしょう。

ご家族のみなさんの並々ならぬご尽力に,深い感謝を捧げます

「編纂にあたって」には,松村先生の最後のお姿が描写されています。

「亡くなる直前,もはや自分の力で鉛筆を持つことさえできなくなってからも,ベッドの上で自分の研究分野の項目立てを何回も語り,それを書き留めるよう私たちに指示を出し続けた。最後の最後まで,自分が関わり続けてきた研究内容や専門用語・概念が頭の中できちんと整理されていたようだ。この『別冊』を編纂することによって,病室で母に語った『研究に関する遺言』を,完璧とは言えないとしても,ある程度は果たすことができたのではないかと思う。」