希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英学史学会での展観資料(2)

10月20(土)~22日(月)に和歌山大学教育学部で日本英学史学会第49回全国大会が開催され、幕末以降の英学・英語教育関係資料が展示されます。

今日も学生・院生らとあれこれ議論しながら、展示すべき資料を選定しておりました。

そうした中で、昨年度から小学校外国語活動が必修化されたことをふまえ、明治以降の小学校英語教育に関連した資料も展示することにしました。

公立小学校での英語教育は平成の時代から始まったと思い込んでいる人も多いようですが、実際には明治期から一種の選択科目として英語が教えられていました。

特に1886(明治19)年に高等小学校制度ができると、一時はほとんどの高等小学校(現在の小5から中2の学齢)で英語が教えられていたようです。

明治33(1900)年に改正された小学校令施行規則では、英語科の教授方針は「綴字」より始まる旧来型から、「発音」から始める音声重視の導入法へと革新されました。

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英語は簡易なる会話を為し、又近易なる文章を理解するを得しめ、処世に資するを以て要旨とす。
英語は発音より始め、進みて単語、短句及近易なる文章の読み方、書き方、綴方並に話し方を授くべし。
英語の文章は純正なるものを選び、其の事項は児童の智識程度に伴ひ、趣味に富むものたるべし。
英語を授くるには常に実用を主とし、又発音に注意し、正しき国語を以て訳解せしめんことを努むべし。
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現在の外国語活動と同じように、指導は「発音より始め」、「簡易なる会話」ができて、簡単な英文が読めることが目標でした。

また、「常に実用を主とし、又発音に注意し」という注意点も、現在に通じるものがあります。

私のデータベースによれば、小学校用の英語検定教科書は、戦前に190種類も刊行されていました。

そのうち、今回は明治期と太平洋戦争期の教科書を中心に展示したいと思います。
下の写真は、明治期の小学校用英語教科書です。

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下の写真は、宮井安吉『小学英語読本 巻一』(1901:明治34年文部省検定済)

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このほか、「英語カルタ」、ラジオでの「幼年英語講座」、さらには英語レコードなど、音声指導のためのさまざまな工夫がなされていました。

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しかし、小学校の英語教育は決して楽しいばかりではありませんでした。

そうです。
厳しい試験が待ちかまえていたのです。

明治20年代には、中学校の入試に英語が課されたこともありました。
小学生もたいへんです。

下の資料は、愛知県中島郡高等小学校(現在の稲沢市)で1891(明治24)年3月に実施された「卒業大試験成績表」です。

なお同校の校舎は現在でも奇跡的に残されています。

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当時は、高等小学校でも中学校でも、このように試験の結果をすべて明示した成績表を印刷し、保護者に配布していました。

各教科の成績、席次、及第か落第かなどがすべて公開されていたのです。
同校では「英語」も課していました。

最高学年の4年生では34人が試験にめでたく合格して、晴れて卒業。
ただし1名が「試験未済」で卒業延期になっています。

第3学年では、41名が合格(進級)、7名が「試験未済」です。
16%の児童が進級できなかったことになります。
小学校なのに厳しいですね。

第2学年では、50名が合格、3名が落第、8名が「試験未済」です。
18%が進級できなかったわけです。
判定基準は明記されていませんが、落第した3人の成績をみると、いずれも40点未満の科目があります。

イメージ 4

第1学年は資料が途中で欠けており、及落はわかりません。

小学校での英語教育は古くて新しい問題なのです。

戦前の小学校英語の歴史から、今日的な示唆を得たいものです。


(つづく)