希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本英語教育史研究の歩みと展望(1)

日本の英語教育政策が混迷を深めるなか、未来を展望するには過去から謙虚に学ぶしかない。

10月のゼミで岡倉由三郎の『英語教育』(1911)を読んだところ、学生たちの反響の大きさに驚いた。 →過去ログ

そういえば、日本英語教育史学会の例会にも学生・院生をはじめ若い人の参加が目立つ。
前回11月19日の東京例会にも千葉大学の4回生が参加され、懇親会の会場でもたいへん熱心に質問さしながらメモを取っておられた。

昨年には大阪教育大学の英語教育専攻の学生が、神戸の小学校英語教育史に関する卒論をまとめ、指導教員を通じて私に送って下さった。

そうした次第で、日本英語教育史に興味を持っておられる人たちのために、これまでの英語教育史の歩みを概観し、主要な文献を紹介し、最後に今後の展望について私なりの見解をお示ししたい。

なお、本校は日本教育史研究会の機関誌『日本教育史研究』第29号(2010)に寄稿した「日本英語教育史研究の課題と展望」を改訂・増補したものである。

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日本英語教育史研究の歩みと展望(1)

  江利川 春雄(和歌山大学

はじめに

 『日本教育史研究』などの教育史専門誌には、これまで英語教育史などの教科教育史の研究論文があまり掲載されてこなかったようである。その理由は、教科教育史の研究蓄積が乏しいからというよりも、むしろ教科教育史の研究者と、教育史プロパーの研究者(はなはだ単純化した言い方だが)との相互交流が必ずしも充分には行われてこなかったためではないだろうか。つまり、お互いがお互いをよく知らないのである。

 国語、数学、英語などの教科教育史の研究には、各教科のカリキュラム、教材、教授法、人物誌などに精通している必要がある。そのため、教科教育史研究者の多くは各教科教育の専門家であり、その一分野としての教科の歴史部門に関心を寄せている人がほとんどである。たとえば、日本英語教育史学会の大半の会員は英語の教員か元教員であり、一般英語、英語学、英米文学、英語科教育法などを教えることはあっても、専門科目として英語教育史を講じている人はほとんどいないのが現状である。

 こうした事情を踏まえて、本稿では英語教育史研究の歩みを概観した上で、近年の研究動向を紹介し、今後の課題と展望を述べてみたい。

 なお、日本における外国語教育史の主流は、古代からの漢学(中国語)、近世からの蘭学オランダ語)、幕末からの英学(英語)であった。英学とは、英語を教授・学習用語として英米の先進的な諸学を学び、日本の資本主義的な発展(近代化)に寄与するための実学であった。しかし明治中期(1890年代)になると、高等教育まで日本語主体で担えるようになった。実学としての英学の時代は終わり、大学の英文科などを除けば、英語の地位は学校の一教科目に過ぎなくなった。「英語で」学ぶ英学の時代から、「英語を」学ぶ英語教育の時代へと移行したのである。

 したがって、英語教育史研究は広義の英学史研究の一分野である。本稿では1890年代以降の狭義の英語教育史の研究に焦点を当てるが、より守備範囲の広い英学史と一体の研究に関しては、しばしば「英学史・英語教育史」という表現を用いていることをご了解いただきたい。

1. 戦前の日本英語教育史研究

(1)前史

 英語教育史に触れた研究としては、古くは大槻修二(如電)撰『日本洋学年表』(小林新兵衛、1877)があり、改訂増補版されて『新撰洋学年表』(大槻茂雄、1927)となった。ただし、江戸時代の蘭学が中心で、簡略な解説付き年表である。

 この他、希有な資料としては、愛媛県師範学校での授業用プリントである枩田與惣之助(まつだよそのすけ)の『英語教授法綱要』謄写版、全84葉、1909)がある。これには「本邦に於ける英語の略史」「本邦小学校英語科の略史」「本邦に於ける外国語教授の略史」などの章が含まれている。小学校教員を養成する師範学校の授業で、明治末期に英語教育史が講じられていた事実を示す比類のない資料である。現物は一セット残存するだけだが、後に大幅に改訂増補されて枩田與惣之助『英語教授法集成』(私家版、1928)として刊行された。ただし、謄写刷による少部数出版であり、復刻版もないため、学界への影響力が乏しかったことが惜しまれる(詳細は、江利川春雄『日本人は英語をどう学んできたか』研究社、2008)。
 なお、この『英語教授法綱要』については私が解読し、注解と考察を附して復刻を進めている(「明治期の小学校英語教授法研究(1) : 枩田與惣之助『英語教授法綱要』の翻刻と考察」『和歌山大学教育学部紀要. 人文科学』第60号、2010;以後、連載中)。いずれもPDFファイルで読むことができる。
  http://ci.nii.ac.jp/naid/110007570009

(2)1930年代

 英語教育史の研究は1930年代に最初の隆盛期を迎える。主要な単行本に限っても、この時期には以下の成果が刊行された。

荒木伊兵衛『日本英語学書志』創元社、1931
② 竹村覚『日本英学発達史』研究社、1933
③ 櫻井役『日本英語教育史稿』敝文館、1936
④ 赤祖父茂徳『英語教授法書誌』英語教授研究所、1938
⑤ 豊田實『日本英学史の研究』岩波書店、1939
⑥ 重久篤太郎『日本近世英学史』教育図書、1941

 このうち⑤『日本英学史の研究』は最近まで岩波書店から版を重ねており(1995年に4刷)、1963年には千城書房から九州大学紫文庫の英学書目録を追加した新訂版も出た。
 それ以外の5冊もすべて戦後に復刻本が出ている。とりわけ③『日本英語教育史稿』は「英語教育史」を明記した最初の本であり、幕末から1935年までの日本英語教育史を通覧した基本文献として、その後の研究に決定的な影響を与えた。
 この他、英語辞書史の先駆的な研究書である岩崎克己『柴田昌吉伝』(私家版、1935)もこの時期の成果である。このレアな名著は古書価がきわめて高いが、読む価値は大いにある。

 さらに、日本初の本格的な英語教育書シリーズとして1935―37年に研究社から刊行された「英語教育叢書」(全31冊)には、英語教育史に関連した本として櫻井役『英語教育に関する文部法規』、片山寛『我国に於ける英語教授法の沿革』、岡田美津『女子英語教育論』、勝俣銓吉郎『日本英学小史』が入っている。さらに、三省堂の「英語教育叢書(English Teachers’ Library)」(全5冊、1937)にも、定宗数松『日本英学物語』が収められている(復刻版あり)。

定宗の遺稿集『趣味余談』(山本忠雄編、帝国書院、1940)には「英学黎明期の人々」が収められている。

 これらの事実は、すでに1930年代には、英語教育の学問的体系の一分野として英学史・英語教育史研究が確立されていたことを示している。

 1930年代に隆盛期を迎えた英学史・英語教育史研究は、英語が「敵国語」とされた太平洋戦争期にも継続された。たとえば、雑誌The Current of the Worldには、1943年5月号から1945年1月号まで、花園兼定の「明治英学史」が21回にわたって連載されていた(花園の死で中止)。

(つづく)