希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本人姓名の英語表記法について

このブログでも,日本人姓名の英語表記について何度か私論を載せました。 →過去ログ

その都度,さまざまな反響があり,ブログをご覧になった方からお手紙や資料をいただくこともあります。

また,朝日新聞2010年11月24日のオピニオン欄「異議あり」で,この問題に関する私の意見を述べたところ,朝日の「声」の欄,お手紙,電子メール等で,実にたくさんの賛成・反対論をいただきました。

新聞掲載から1年以上たってからも,中学校の英語の先生である藤原和彦氏から大修館書店の『英語教育』2012年月号「FORUM」欄で反論をいただきました。

学校英語教育の領域でも,日本人姓名の英語表記に関する様々なご意見が交わされることはたいへん重要なことですので,藤原先生に感謝しつつ,同誌の3月号に私の意見を載せて頂きました。

英語教育関係者以外の方は,この記事に接する機会がありませんし,お問い合わせもいただきましたので,ここに掲載させて頂きます。(江利川 春雄)

姓名の英語表記法について

 Naoto Kan? Kan Naoto!
 朝日新聞2010年11月24日のオピニオン欄「異議あり」で,私は「姓+名」の英語表記を提唱した。
 これに対して,本誌2012年2月号のFORUM欄で,藤原和彦氏が「名+姓」で表記すべきだと反論された。
 「異議あり」のコーナーは,世間の「常識」に異論を唱え,論争を喚起することを狙っている。その意味で,藤原氏の反論に感謝するとともに,英語科教育の本質に関わる問題を含んでいるので,逆反論(逆ギレではない)をお許しいただきたい。

 藤原氏は次のように主張された。
 ①「姓+名」では飛行機やホテルの予約にトラブルが生じかねない。
 ②identityか利益かでは「利益優先であることは言うまでもない」。
 ③「名+姓」の順番は「文法事項の一つである」。
 ④「国際社会には国際社会のルールがある」ことを認識せよ。
 ⑤中学用英語教科書の「姓+名」表記は「世界では通用しない」。誤用であり,次回の教科書改訂では「名+姓」に戻すべきだ。
 ⑥「勝手な考えや思い込みで表記の仕方を変えるべきでない」。
 ⑦世界で通じる英語とはどういうものかを真剣に考えよう。

 以上について,私見を述べたい。

 ①公式の国際身分証明書である日本政府のパスポートは「姓+名」の順である。
「名+姓」の表記が世界標準だと思い込むと出入国が危うくなる。

 ②公教育の意義が,「利益優先であることは言うまでもない」と断じるのは危険すぎる。
私は「源氏物語」から利益を得た覚えはないが,古典の先生を恨んではいない。学校は自動車教習所とは違い,利益に直結するスキルだけを教える場ではない。
学習指導要領外国語編でも「多様なものの見方や考え方を理解し,公正な判断力を養い豊かな心情を育てる」ことが明記されている。
教育の目的が「人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者」〔教育基本法〕を育成することであることを忘れないようにしたい。

 ③「名+姓」の順番が「文法事項の一つ」という指摘は面白い。
 ただ,「姓+名」の日本風表記が‘Mr. Naoto’や‘Hi, Kan!’のような不都合を招くのならば,どちらが姓かを教え,大文字でKANと表記すればいい。
 ちなみに,私は‘Call me Haruo!’とは言わない。「はるお!」と呼べるのは母だけの特権だ。

 ④「国際社会のルール」と言うが,日本は「国際社会」に含まれないのだろうか。
日本風の姓名表記法の存在を伝えることが,世界をより多様で豊かな共生社会にする第一歩だ。
先の新聞では,姓+名の表記は「主権の一部」だから政治家こそ率先すべきだと述べた。
ただ戦略的には,コロコロ変わる首相名よりも,アニメ・キャラやAKB48などで姓+名の表記法を売り込んだ方が賢明だろう。

 ⑤英語教科書の歴史をみると,最初の国定教科書(1889)では「姓+名」の日本式だったが,1900年前後から欧米風の「名+姓」が定着し始めた。
再び「姓+名」に戻ったのは1987年度版の中学用New Crown三省堂)からで,「名前は、その人や民族のアイデンティティーを示すもの」という理念に基づいていた。
2002年度版からは,中学用の6社すべてが「姓+名」の表記になった(両論併記も含む)。
 なお,「姓+名」の日本式表記法は,しだいに市民権を得てきた。たとえば,日本在住の外国人記者らが英文を書く際のマニュアルJapan Style Sheetは,1998年の改訂版で日本人名の表記を「姓+名」の順に改めた。
英語学術論文での人名表記も「姓+名」が一般的になってきた。

 ⑥「姓+名」への転換が「勝手な考えや思い込み」だとする見解こそ,思い込みだ。
開国後の日本人はローマ字でも「姓+名」で表記していた。「名+姓」への転倒が本格化したのは,1880年代の欧化政策時代で、「文明人」である西洋人のまねをしたため。精神の自己植民地化の遺物だ。
近年は,国連総会で「マイノリティ権利宣言」(1992)が採択されるなど,多様な民族の言語や文化を尊重する意識が世界的に広がった。
日本でも,人名や地名の現地読みを尊重するようになり,金大中が「キム・デジュン」と読まれるようになった。
こうして,文化庁の国語審議会が,2000年に「日本人の姓名については,ローマ字表記においても「姓-名」の順(例えばYamada Haruo)とすることが望ましい」と答申した。熟慮を経て転換したのである。

 ⑦「世界で通じる英語とはどういうものか」を真剣に考えようという提案には賛成だ。
英語は今や英語母語話者の専有物ではない。1981年にはWorld Englishesが創刊され、世界の多様な英語を対等平等に尊重する考えが普及した。
日本の英語教育界でも,英米の英語表現や文化を絶対視しない考え方が主流になってきた。
国際的な連帯を図るためには,固有の文化や価値観を尊重することが必要だ。
「みんなちがって,みんないい」
米国主導のグローバリズムが猛威をふるう今日,この点を特に強調したい。
  (和歌山大学 江利川春雄)

*(4月5日追記)
下記のish12masさんのコメントにもあるように,日本サッカー協会JFA)の小倉純二会長は,4月2日のコラムで,今後は日本人の姓名表記を原則「姓→名」の順に変更すると発表しました。この影響は大きいでしょう。
 http://www.jfa.or.jp/jfa/column/2/2012/20120401.html