希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治期の進学校

学校を安易に格付けすることは危険だ。

学校は多様な要素からなる構成体であり、たとえば進学実績や偏差値だけから格付けすることはナンセンスである。

その点で、3月に政府筋から発表された「大学評価ランキング」は愚劣きわまりない。
とりわけ、新入生が希望に胸を膨らませて大学の門をくぐるこの時期に発表したことは、その無神経ぶりにあきれ果てる。

アホな官僚や政治家こそ、アホな順にランキングして公表すべきではないか。

新自由主義の病根は実に根深いと改めて感じた。

ところで、こうした学校ランキングは、いつごろから生まれたのだろうか。
この点は、「受験英語」と日本人の関係を明らかにする上で避けて通れない課題だ。

いろいろ調べる中で、1905(明治38)年の進学実績を一覧表にした資料を入手した。
中島優二編『受験者必携』(1906)である。

原資料は詳細なので、大学予科旧制高校を含むと思われる)に10人以上合格者を出した中学校を一覧表にしてみた(後身校も参考までに付けたが、微妙な関係の学校もある)。

私立の学校が名前を出すのは東京だけだ。
こうした東京の私立校は、地方の中学校出身者を積極的に受け入れ、一種の予備校としても機能していたようである。

しつこいようだが、この表は研究資料の一部であり、現在の高校の格付けとは無関係であることを強調したい。

格差と競争ではなく、平等と協同の教育をめざして、僕は競争的な「受験英語」の歴史を根底から見直していくつもりだ。

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