生前、友人宛に次のようなメールを送ったという。
「悪いのは子どもじゃない、おまえだ。おまえの授業が悪いから荒れるーーと言われ、生きる気力がなくなりそうに感じました。苦しくて。苦しくて。苦しくて。」
百合子さんは、「誰も助けてくれない」と感じていたようだという。
記事は、ある教師の言葉で締めくくられている。
「今の学校は失敗しながら伸びていくゆとりがない。教師を育てられない学校が、子どもを育てられるだろうか」
前政権は、教員定数を少子化のテンポを上回る率で削減してきた。
教師の多忙化が著しく進み、教師の同僚性が弱まった。
自分の仕事をこなすだけでも精一杯で、新任を含む同僚を助ける余裕が奪われているのである。
教師の多忙化が著しく進み、教師の同僚性が弱まった。
自分の仕事をこなすだけでも精一杯で、新任を含む同僚を助ける余裕が奪われているのである。
同記事によれば、公立学校(小中高と特支)で定年前に早期退職する教員は、全国で毎年1万2千人を超え、この5年間では6万7千人に及ぶという。
とりわけ、関西や首都圏での早期退職者が多い。
文科省の調査(2006~08)では、公立小中学校の9割以上が「勤務時間以外でする仕事が多い」と回答している。一般企業の2倍だ。
「気持ちが沈んで憂うつ」という教員は27.5%で、一般企業の約3倍に当たるという。
在職中に死亡した教員の数は、2005年度612人、06年度594人、07年度642人、08年度602人、09年度650人で、この5年間に計3,100人が亡くなっているという。
生徒が多様化する中で、政府は思いつきのような「教育改革」を連呼し、他方で大規模クラスは放置し、教育予算と教員数を削減し続けてきた。
拙著『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』(2009)で繰り返し指摘してきたように、国の歳出に占める教育費の割合は、1975年には12.4%だったが、小泉内閣の2002年度には8.2%、2004年7.5%、2006年6.6%へと削減され続けてきた(大谷泰照氏の調査を参照)。
加えて、国が交付した教材費を土木工事費などに流用する自治体も多い(『英語教育』2007年11月号の菅正隆論文)。
日本は先進国に例のない40人学級制を続け、平均クラスサイズは小学校28.8人、中学校34.3人と過大なままだ。
OECD平均(小21.8人、中23.7人)を大幅に上回り、最下位から2番目である。
逆に、教員の労働時間は最も長い。
OECD平均(小21.8人、中23.7人)を大幅に上回り、最下位から2番目である。
逆に、教員の労働時間は最も長い。
こうして、教師の過労による病休は過去10年間で約2倍に達し、精神疾患は3倍以上に及んでいる
繰り返し言おう。
これは、仕組まれた「殺人」である。
(つづく)