希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

高校の「授業は英語で行うことを基本とする」の問題性

すでにこのブログでも何度か取り上げてきましたが,高校の新学習指導要領の「目玉」政策の一つとして,「授業は英語で行うことを基本とする」という規程が盛り込まれました。

これほど重要な方針が,中央教育審議会の外国語専門部会でも議論されないまま決められ,したがって議事録にも載っていないのです。

もとより,理論的にも実践的にも重大な誤りです。

外国語を目標とする外国語で教える指導法を「直接教授法」(Direct Method)といいます。
この直接教授法が,日本の高校のようなきわめて多様な生徒が集まる教室で効果を発揮するなどという研究は存在しません。

逆の失敗例はあります。
1922(大正11)年に来日した英国のハロルド・パーマーは,Oral Methodという「授業を英語で行う指導法」を説きました。

しかし,数年後に実情に合わないことを悟り,日本語を交えてもよいと方針転換しました。
当時の旧制中学生は週6~7時間も英語があり,しかも成績優秀者ばかりでした。
それでも「失敗」したのでした。

そうした歴史から,何一つ学ぼうとしないのでしょうか。

「授業は英語で」がいかに誤りであるかに関しては,静岡理工科大学の亘理陽一先生が,すばらしい論文を発表されました。↓

亘理陽一(2011)「外国語としての英語の教育における使用言語のバランスに関する批判的考察」『教育学の研究と実践』第6号,北海道教育学会

結論部分をまとめると以下の通りです。

母語の適切な使用がコミュニケーション活動を円滑化し,英語使用を促進する。ただし,教師が一方的にしゃべるだけのの授業や,日本語ばかりで進めるのはよくない。

②日本語←→英語の切り替えは自然な行為であり,指導要領が日本語使用に「罪の意識」を感じさせるのは問題である。

③英語(だけ)での授業を要求することが,学習者の学習方略を狭め,教師の教育内容・教材構成を阻害する。

亘理先生は,内外の多数の文献をもとに,以上の結論を導いています。
たいへん貴重な研究成果です。

文法解説と訳読ばかりの授業を一方通行的にやる授業では,生徒の学びは深まりにくいでしょう。
その意味での授業の改善は必要です。

しかし,それは「授業を英語で」やれば良いというものではありません。
私は「協同学習」を核とした授業改革を提唱し,各地の学校をまわっています。
(本年秋には,全国の仲間と,英語科における協同学習に関する本を出版予定です。)

なお,外国語学習にとっての母語への翻訳の重要性を検証した近年の研究成果としては,以下のものがあります。これも,以前に紹介しました。→過去ログ

Guy Cook. Translation in Language Teaching: An Argument for Reassessment. (Oxford University Press, 2010).