希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治期の小学校英語教育に関する賛否両論

古い史料を読んでいると,ハッとするほど今日的な問題に出くわすことがあります。

今から109年前の1903(明治36)年に刊行された教育学術研究会編纂『教育辞書 第一冊』同文館)に「外国語教授」という項目があります。
執筆者は佐々木吉三郎(〔東京〕高等師範学校助教授)。
この本は,幸い国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で閲覧可能です。

その中に,小学校英語教育に関する賛否両論が紹介されています(76~77頁)。

当時,高等小学校(現在の小5から中2の学齢)では加設科目(一種の選択科目)として英語を加えることができました。
以下に引用します。〔 〕は僕の補注です。

(引用開始)
小学校に英語科を置くに付ては賛否両説あり,今其必要論者の理由とする所を挙げんに,
(一)中等以上の教育を受くるものに必要なり。何となれば語学は,単純記憶を要し,且つ専心一意を要するが故に,可成早くより之を課するに於て効あればなり。
(二)居留地,商業地等に接近するものは,一般国民として,比較的必要なり。何となれば外国人に交際する機会多ければなり。
(三)二十世紀の国民として必要なり。看板を見よ,新聞を見よ,彼のステーション,ビーアホール,アップルの類,皆日本語の一なりといふべき程ならずや。故に外国語殊に英語の初歩を授くるは,小学校に於て欠くべからざることなり。
と,然るに,不必要論者は言をなして曰く。
(一)中等以上の教育を受くるものは少なし。〔当時の中学校進学率は2~3パーセント〕
(二)居留地,商業地等に接近するものとても,別段役に立つほどの成績を挙ぐべからず。
(三)現今に於て,自国語すらも小学校に於て学びうること能はず,何の遑〔いとま=ひま〕ありて外国語に及ばんや。
(四)外国の事例を取って,我国にても課せんとするものあれども,そは外国に於ける実際の事情(外国語を学ぶ容易)を知らざるものにして,日本の如き,外国と言語の性質系統を異にするものが,容易に企つべきことにあらず。
(引用終わり)

いかがでしょう?
ハッとしませんか。

僕は,博士論文をもとにした『近代日本の英語科教育史』東信堂,2006)の第5章「高等小学校の英語科教育」で,約70頁を割いて明治以降の小学校英語教育史を論じました。
でも,そのときはこの資料を知りませんでした。

補遺として,後悔しつつ,公開しました。

なお,著者(佐々木)は,このあとでもハッとするようなことを述べています。

(つづく)