希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日英の言語的距離に気づいた外国人

5月27日(日)に専修大学生田キャンパスで開催される第84回日本英文学会全国大会でのシンポジウム「英語の学び方再考:オーラル・ヒストリーに学ぶ」のために,明治以降の日本人の英語学習史を調べています。

むかしテレビ番組に「知ってるつもり!?」というのがありましたが,まさに「知っているつもり」であって,実は知りませんでした。発見の連続です。

たとえば,慶応3年(1867)に英国海軍の砲兵将校として来日したアイルランド人のフランシス・ブリンクリー

日本の「文明開化」を助けた,いわゆる「お雇い外国人」の一人で,日本人向けの英語独習書『語学独案内』(1875:明治8)などで有名です。

そのブリンクリーは,次のように述べています。

「日本人が英語を学ぶ上に非常な困難を感ずるはそれ〔日本語と英語との言語体系の違い〕故で,欧州中の他国人が英語を学ぶの面倒とは格段の違いです。今茲(ここ)に一人の英国人があって日本人に英語を教ふとせんに,若し初めより英国乃至は他の欧州人に対する教授法を踏襲すれば其人は必ず失敗です,既に英人又は他の欧州人に適用して成功せる教授法ゆえ,教授法としては申分なきにしても,独り日本の学生は欧州人と其事情を異にするが為に右の英人は失敗を招くのです,日本の学生が他国語を学ぶに其進歩遅緩なりとの評あるは此辺の意味を言ふのでせう。去れば外国人たる英語教師は,日本語に通ぜざれば日本の英語研究者が如何様の困難を感ずるかを了知する事が出来ぬ故,到底日本人を満足させる事は出来ませぬ」
(ブリンクリー「英学者苦心談(一)」『中学世界』第6巻第9号,1903:明治36年

1922年に来日したパーマーが,ヨーロッパでの語学教育の体験をもとにしたオーラル・メソッドという英語だけによる会話中心の教授法を提唱しました。
でも,うまくいきませんでした。

現在,日本語をまったく知らない(それどころか,語学教授法をまったく知らない)ALTが日本の学校の教壇に立っています。

ブリンクリーは言っています。

「外国人たる英語教師は,日本語に通ぜざれば日本の英語研究者が如何様の困難を感ずるかを了知する事が出来ぬ故,到底日本人を満足させる事は出来ませぬ」

噛みしめるべき言葉でしょう。

語学教育は,それほど甘いものではないのです。