希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「英語教育」という用語はいつから?

本日8月14日はお盆休みを返上して,教員採用試験一次合格者の二次試験対策を行いました。

和歌山県の二次試験では,英語による模擬授業(中学校)や,英語による指導方針のプレゼン(高校)などがあります。
傾向と対策を論じた後,集まった5人の学生に1人ずつ模擬授業,プレゼンをしてもらいながら,改善点などを話し合っていきました。

ぜひ二次にも合格して,立派な英語教育者になってほしいです。

さて,こんなふうに何気なく使う「英語教育」という言葉が,日本ではいつ頃から使われるようになったのかについては,実はあまりはっきりわかっていません。

この方面では(でも),昨年亡くなった松村幹男先生が,「『英語教授』と『英語教育』:通史に於ける用語変遷小史」という論文を日本英学史学会中国・四国支部の『英学史論叢』第12号(2009)に書かれています。

それによれば,明治初期から約60年間は「英語教授」という用語が支配的だったそうです。

「英語教授法」というのは,「英語授業の進め方,教え方とその改善を主とするもの」でした。
つまり,教師目線の概念です。

そうした中にあって,岸本能武太は『中等教育に於ける英語科の教材教程及び教授法に就いて』(1902:明治35年)のなかで,「英語教育の統一」が急務であるという文脈で,「英語教育」という言葉を使っています。

その後,1911(明治44)年には岡倉由三郎が名著『英語教育』を刊行しました。
しかし,岡倉は本文中では「英語教授」という用語を使用しています。

1927(昭和2)年には,東京府英語教員会が「英語教育に関する意見書」を出しています。

1931(昭和6)年には,広島文理科大学英文科編の『英語英文学論叢』が創刊され,掲載論考のジャンルとして英文学,英語学と並んで「英語教育」の分野が確立されました。

1935(昭和10)年には,研究社から「英語教育叢書」が刊行され始めます。

このように,ようやく1935(昭和10)年前後になって「英語教育」と「英語教授」を区別する意見が出て来るようになり,「英語教育」が優位になる傾向が強まります。

小日向定次郎は,1933(昭和8)年の『英語教育論:英語教師の教養に就いて』で,「英語教育論は英語教授論と英語学習者論といふ二つの見地を包含するものである」と述べています。
当時としては,まさに卓見でしょう。

松村先生は以上のように実証的に分析しておられます。

ところが,先日送られてきた古書目録の中に「英和案内 英語教育社 明治二十一年」という書名が書かれているのではありませんか!

「なに!? 明治21年に英語教育社!?」

「英語教育」という用語が,公刊書のなかで明治21年1888年)に登場していたというのは初耳です。

1万円を超す資料でしたが,すぐに電話を入れ,押さえたことはいうまでもありません。

それが以下の資料です。

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四六版ほどの,各冊20ページほどの小冊子です。(手もとにあるのは第1,3,4号の3冊)

第1号は明治21年10日10日発行。
発行所は英語教育社(愛知県名古屋区南伊勢町97番地)
発行兼編輯人は鈴木彦三郎です。

目次は以下の通りです。
本文もそうなのですが,誤字や脱字がやたら目に付きます。

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右下の文章は,通信教育用の教材であったことを強く示唆しています。
薄い冊子で月2回発行というのは,通信教育教材によく見られた傾向です。

明治20年前後は英語ブームに沸いていましたから,通信教育の教材として「にわか仕込み」で発行されたのでしょう。

本文中には「教育」に関する文章も載せられています。
かなり高度が英文ですが,(1)(2)といった漢文訓読式のような番号順に訳を当てていく方式がとられています。

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この英語教育社については,今後研究が必要です。

国会図書館のデータベースによれば,英語教育社からは『英語教育 喇叭武士』(鵠涯散士 訳)という本が出ています。

ただし,こちらの「英語教育社」の住所は「東京市小石川区」であり,発行者は「松田克己」ですから,上記の名古屋の英語教育社とは別かもしれません。

かくして,また謎が生まれました。
「英語教育社」についてご存じでしたら,どうか教えて下さい。

それにしても,「英語教育」という用語が日本で最初に使われたのは,いつなのでしょう?