希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「入試にTOEFL」をめぐり朝日新聞紙上で論争します

高校生や大学入試にTOEFLを、などを掲げた自民党教育再生実行本部の「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」をめぐり、朝日新聞で紙上ディベートをします。

掲載は5月1日(水)の朝刊(全国版)の予定です。

お相手は、「提言」の責任者で教育再生実行本部長である遠藤利明衆議院議員

生徒の学力を測定するには、学んできた教育課程と合致する試験を実施しなければなりません。
まして、大学入試は人生を左右しかねない重要な試験です。

ところが、TOEFLなどの外部試験は、生徒の教育課程を定めた学習指導要領とはまったく合致していません。

言うまでもなく、TOEFLは米国などの大学・大学院に留学する能力があるかどうかを見るために、米国の機関が作成した難解な試験です。

そのため、TOEFLには1万語水準を超す難解語が頻出しますが、指導要領が求める単語数は中高で3千語です。

これでは、イジメではないでしょうか。

指導要領に準拠した大学入試センターですら、多くの高校生は難しすぎて、2016年度を目標に難易度別に2種類に分けることが検討されているのにです(2010年10月25日朝日新聞)。

TOEFLなどの外部試験を目標に据えれば、高校も大学も、その対策こそが英語教育の主要メニューになってしまい、学校教育が痩せ衰えてしまいます。

私も大学の都合でTOEICなどの対策講座を担当したことがありましたが、日英比較や異文化理解、言葉の深さや人間の生き方などといった英語教育の本質的な要素が切り捨てられてしまうので、数年でやめました。

世界に通用する英語力を高めるという題目の下に、一般の高校生に教育課程を無視した試験を課す。
それで、本当に学力が付くと思っているのでしょうか。

斎藤秀三郎新渡戸稲造、國弘正雄さんのような英語の達人の誰一人として、試験対策のような安易な近道を通って英語を極めた人はいません。

昨日は鳥飼玖美子さん(立教大)とお話しする機会があったのですが、英語の上達に何よりも必要なのは、外部試験のようなものではなく、自分の内側からの強烈な学ぶ意欲だという点で一致しました。

そうした意欲をかき立てるものは、知的好奇心であり、興味であり、教師による「おもしろい!」と思わせる仕掛けです。

外部試験の強制は、そうした「伸びる芽」をつぶしてしまうことも少なくないのです。

経済界や政治家が、英語が使えるグローバル人材を育成したいと焦る気持ちは、わからないわけではありません。

しかし、英語ができる子も苦手な子も、100%の子どもたちの学びを保障するのが学校教育です。
戦前のように、一部のエリートだけに英語力を付ければよいわけではないのです。

そもそも、TOEFL iBTには1人1台のコンピュータが必要です。
50万人を超す大学受験生に、どのように大量のTOEFL用コンピュータを用意するのでしょう。

高校にもそれだけのコンピュータはありません。
日本国内のTOEFL試験会場はたいへん少なく、私の住む和歌山県では受験できません。

そうした戦後教育のリアルな現実に即した教育政策を立案しない限り、学校が振り回され、子どもと教員の疲弊が進むばかりです。

影響力の強い与党には、以上をふまえた冷静で実行可能で、何よりも人間的な政策提案を求めます。