希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「大学入試にTOEFL」をめぐって(続報)

日本英語教育史学会の全国大会から戻りました。
会場でも、TOEFL問題が大きな話題で、みなさんから激励されました。

本ブログでの書き込みもすごいですね。
英語教育問題で、これほど議論になるトピックは近年珍しいのではないでしょうか。

さて、今回は取り急ぎ3つの話題提供を。

(その1)
「大学入試にTOEFL」をめぐる朝日新聞(5月1日)紙上での遠藤利明衆議院議員と私との論争について、遠藤議員のサイトが新聞紙面をそのままアップされています。(私は著作権の関係もあり、遠慮していたのですが。)


あんな主張を堂々と自分の公式ホームページに載せるのですから、政治家の心臓というのはスゴイと感嘆しました。

(その2)

*最初にここに記述した内容については、十分な検証をしないまま、私の主観を入れて書いた点がありました。その点を深くお詫びし、以下のように削除・訂正させていただきます。(5月21日21:11)

さらに検証を進め、確実な論拠にもとづいて紹介できるようがんばりますが、現時点で判明している点のみを書きます。

今回の「大学入試にTOEFL等」を盛り込んだ「提言」の英語教育政策を事実上立案したのは、財界三団体の一つである経済同友会の「教育改革による国際競争力強化プロジェクトチーム」です。

その委員長は英語社内公用語化を断行した楽天三木谷浩史社長兼会長で、自民党教育再生実行本部のメンバーでもあります。

そして、その楽天の語学教育のコンサルタントが、Ms. Ilona Budapestiです。
彼女は、世界を経済危機に追い込んだ「リーマン・ショック」(2008)で知られるリーマン・ブラザーズ社でデリバティブ金融派生商品で、しばしばマネー投機に使われた)にかかわっていた人(Derivatives Negotiator)です。

(その3)
5月8日付の中日新聞東京新聞の社説(共通のようです)「TOEFL導入 英語で伝える中身こそ」が興味深いです。

皆さんは、ご存じでしたか?
後半は以下の通りです。

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内向き志向の若者の目をもっと海外に向けさせ、世界標準の人材を育てる。TOEFLを
そのカンフル剤に、という狙いのようだ。

 だが、大学の出入り口で一律に課すとすれば危うい。英語学習にばかり振り回されて本来の夢や志を諦めたり、才能を伸ばす機会を奪われたりしては本末転倒だ。

 大学はじめ学校現場は、産業界にとって都合の良い人材を養成するだけの下請け機関なのか。そんな疑問が浮かんでくる。

 意思疎通の道具としての英語か、教養としての英語か。幕末の開国以来、英語公用化論を含めて論争が繰り返されてきた。現実には全員が大学に進んだり、外国で働いたりするわけではない。

 仕事や留学などで本物の英語力が試される場合に備え、学校現場はしっかりと基礎づくりを工夫しておく。どの程度まで積み上げるかは個々の判断と努力に委ねたい。

 日本人にとっては、母語である日本語こそが知性と感性の土台だ。斬新な発想も、先駆的な知識や技術も、母語から生み出される。身につけた英語で受発信する中身が大切なのだ。

 すし、着物、柔道、漫画、改善、カラオケ、もったいない…。そのまま英単語になった言葉は多い。空っぽの英語より実のある日本語の方が世界に通用する。


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学校における英語教育とは何か、の基本が押さえられている社説だと思います。

1974年の自民党平泉渉参議院議員による「5%の人に実用的な英語力を」という平泉試案をめぐっては、上智大学渡部昇一教授との間で「英語教育大論争」になり、本も出版されました。

あのときは1対1の論争で、メディアは雑誌でした。

しかし、今回はブログ、facebookTwitterなどで誰もが自由に討論に参加することができ、ほとんどリアルタイムで意見交換ができます。

この点でも、3.11後の私たちは、一部メディア・学者の堕落ぶりと、対抗メディア・発言の必要性を大いに学びました。

「思いつき」のレベルを出ない無責任な教育政策で疲弊するのは、いつも生徒と先生たちです。

小学校英語を教科に」も同様でしょう。

いつまでも言いなりにはならない。

声を上げ、行動し、より良い学校教育を目指しましょう。