希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

新学習指導要領にどう対処するか(2)

今日8月15日は日本の「敗戦」記念日。
朝鮮半島では「光復節」です。

同じ日なのに、歴史的評価が大きく異なる意味を考える日にしたいと思います。

そして明日は教員免許更新講習「英語授業改善のあの手この手」をやらなければなりません。
この更新制に大きな問題があることは以前に述べましたが、せめて明日は「受講してよかった!」と思える講習にすべく、頑張ります。

その準備のため、あまり時間がないのですが、昨日の続きで中学校の新学習指導要領(外国語)について簡単に考察したいと思います。

中学校新学習指導要領の特徴

最大の特徴は、なんと言っても時間数が週3時間から4時間になったことです。

文部省の外国語教育政策に定見がなく、いかにいいかげんかは、時間数の動揺を見れば明らかです。

・1978年の中学指導要領:英語週3時間を強制→英語嫌いと塾通いが急増。
・批判を受け、1989年版指導要領で実質週4時間に。
・「ゆとり教育」を謳い、1998年版でまた週3時間に。
学力低下批判を受け、2008年版で週4時間に。

今回週4時間になるといっても、声を大にして主張しなければならないのは、その時間増に見合った英語教員(教諭)の増員が準備されていないことです。

英語の正規教員を3割増やすことを強く訴えなければなりません。
持ち時間が増えるのですから、当たり前のことです。

さて、時間増にともなって指導内容にも変化が生じました。
高校指導要領とは異なり、中学校では歓迎すべき方針も見られます。

主な特徴を10点にまとめてみましょう。

イメージ 1

イメージ 2

まず「目標」では、現行の「聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力の基礎」という文言が、「聞くこと,話すこと,読むこと,書くことなどのコミュニケーション能力の基礎」と4技能全般になりました。

オーラルに偏りすぎたことが英語力低下の一因だと思いますので、これは歓迎すべきことです。
ただし、文科省は小学校の外国語活動がオーラル中心だから、それを反映したのだと説明しています。
素直に「オーラルに偏りすぎた」と言えばいいのに!

なお、あれほど大騒ぎした「実践的」という言葉が消えました。
指導要領解説によれば、実践的でないコミュニケーションはないからだとのこと。
だから、あれほど「実践的」を付けるのはやめろと言ったのに!

そもそも、日常生活で英語を使用しない日本の中学生に「実践的」な英語スキルを求めすぎるのは危険です。「実践的源氏物語」や「実践的跳び箱」がないように、すぐ実践に使えなくても、人間の全面的な発達には外国語教育が必要なのです。
「実践的」は教育を貧しくします。

「書かれた内容や考え方などをとらえること」を新設し、読解力の強化を狙っているようです。
これに伴い、語彙が900語から1200語に増え、文法指導や辞書指導も強化する方向です。

「文法については,コミュニケーションを支えるものであることを踏まえ(あったりまえ!!),言語活動と効果的に関連付けて指導すること。」

これまで文法を思いっきり軽視したために中学生の英語力がガタガタになったので、その言い訳を言っています。
要は「文法のための文法を教えるな」と言いたいようですが、中学校教師はそれほどアホではありません。余計なお世話です。

なお、語彙が約300語増えますが、これは時間増に見合った措置でもあると同時に、小学校5・6年生で約300語程度の英語に接する予定なので、見かけほど負担にはならないでしょう。

題材では、「伝統文化」といったナショナリズムの臭いのする項目が入っている点に注意が必要です。
これはすべての教科で義務づけた「道徳」教育と関係しています。

政権を無責任に投げ出した恥さらしな国粋主義的元首相・安部某の時代の遺物ですが、国民を愛さない連中に限って「国を愛せ」などと言いだすので、注意が必要でしょう。

最後の点を除けば、中学校の指導要領(外国語)はまだ許せるのですが、問題は高校新指導要領(外国語)です。

これは中教審外国語専門部会の意向を無視して、学校現場の実情を知らない一部(数人)の英語オタクと、財界の意を受けた官僚らが作成した史上最悪の指導要領だと言えるでしょう。

次回は(といってもしばらく忙しいのですが)、高校指導要領を考察しましょう。

(つづく)