希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「書き写す」ことの意味

2回前の「敗戦直後の受験勉強(木田元の場合)」では、単語や書物を手で書き写す勉強法を紹介しました。

この「書き写す」ことに関連して、宿題となっていた渡部昇一上智大学名誉教授の例を紹介しましょう。

敗戦直後は物資が極端に不足していたこともあり、しばしば教科書や参考書を手で書き写したという話を聞きます。

渡部昇一氏は敗戦直後に郷里の山形県で英語の勉強をしたときの様子を次のように回想しています(渡部昇一松本道弘『英語の学び方』知的生き方文庫版、三笠書房、1987、24~25頁)。
*なお、この本については、「まさんた」さんもブログ「洋書と英語の日々」の記事「英語の勉強法」で紹介されています。

渡部氏は、中学時代は戦時下の勤労動員でほとんど英語の勉強ができなかったため、戦後になって基礎からやり直したといいます。

やさしい英語の入門書をだれかから借りて、全部写した覚えがあります。それが上がってからは、須藤兼吉の『英文解釈の徹底的研究』(旺文社)――戦前の受験参考書というのは貴重品で、とく田舎ですとあまりないですから、それも全部写しました。しょっちゅう消える石油ランプのともしびのもとで写しましたから、あれで大分目を悪くしましたね。それでも、何かやっぱり新鮮な感激でした。戦前の受験参考書は、大正とか昭和の初めごろの文章で、中に入っている例文は、“Use of Life”とか、いい時代のイギリスの随筆からとっていますから、いいことを上手にいっているわけです。だから、けっこう楽しんで写していました。

僕も須藤兼吉の『英文解釈の徹底的研究』を旺文社の資料室で調査させてもらったことがありますが、小さな活字がびっしり詰まった、400ページ近い本です。
これを全部写したというのですから、驚きです。
渡部氏が牛乳瓶の底のようなメガネをかけているのは、このランプの下での目の酷使によるものでしょうか。

そういえば、漢字の起源と発展史を解き明かし、「白川文字学」を確立した白川静さんは、古代の甲骨文字や金文をひたすら書き写すことで、文字の成り立ちのみならず、そこに隠された古代中国の人々の文化や思想まで解明していったといいます。

幕末のころは、オランダ語や英語の辞書をまるまる写した逸話が残っています。

写経もそうですが、書き写すという作業は、文字と文章、意味と思想を理解する上で不可欠のプロセスなのかもしれません。

旧式学習法と笑えるでしょうか。

なお、この本には受験英語の効用についての渡部氏の面白い文章が載っています。
また別の機会に紹介しましょう。