希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

成田先生の「英語の社内公用語」批判

9月19日に広島で開催された日本英語教育史学会の研究会から戻りました。

日本の首都は東京でしょうが、日本英学史・英語教育史研究の「首都」は広島だと実感して帰りました。研究発表も、討論も、参加者との歓談も、どれも質が高くて、いつも「行ってよかった!」と実感します。

さて、研究会の前日の18日、朝日新聞の全国版に、成田一先生大阪大学大学院言語文化研究科教授)の「英語の社内公用語」を批判する意見が載りました。

簡潔かつたいへん鋭く問題点を論じておられて、感嘆しました。

成田先生は阪大で「英語教育総合研究会」を主宰され、公開講座「教員のための英語リフレッシュ講座」も精力的に運営されています。

成田先生の上記のシンポ・講座には昨年来3回登壇させていただきましたが、そうした協働を通じて、英語教育政策の現状に対する先生の見識については深く共感しています。

今回の朝日での主張についても、原稿段階でやりとりさせていただきましたが、まったく見事な形に仕上げておられます。

タイトルは、「英語の社内公用語 思考で及ばず、情報格差も」

楽天ユニクロが2012年をめどに英語を社内公用語にすると発表したことを受け、「日本人だけの会議を英語でするのは弊害が大きく、ネーティブを交えた会議を英語ですることも、実は問題がある」と斬り込みます。
なぜでしょう?

人間の思考は脳の「作業記憶」における活動だが、作業記憶にはリアルタイムの処理の時間と容量に制約がある。日本人は英語の聴取・理解と発話の構成に手間を取られ、論点を分析し対案を提示する「思考」に作業記憶を回せなくなるため、思考に専念できるネーティブ主導の討議になる危険性が高いのだ。英国宰相だったチャーチルは、フランス語が堪能だったが、首脳会談では英語を通した。フランス語を使うとフランス人もどきの思考回路になり、相手のペースに巻き込まれるのを嫌ったらしい。

3月に亡くなられた高梨健吉先生と以前ご一緒したとき、先生も同じことをおっしゃっていました。
「外交の場では、どんなに相手の国の言葉ができても、それを使ってはならない。必ず通訳を解して母語で会談をしなければならない。母語は主権の一部だからだ。」
といった主旨の発言でした。

僕は日本の総理大臣がアメリカの大統領と英語で話をする光景を見ると、津田幸男さんの言う「幸せな奴隷」という言葉を思い出します。
こんなことだから、普天間基地移設問題で植民地政府的な、あるいは傀儡政権的な対応をしているのです。

続けて成田先生はこう展開します。

情報共有」の問題も重要だ。母語なら討議内容を深められるが、日本の会社で外国語を公用語にすると、多くの社員の間で「情報が正確に共有できない」恐れがある。ビジネス英語力テスト「TOEIC」のスコア600―700点前後を昇進・昇格の要件にしている企業も多いが、現実には800点ないと実務的な討議はできないとされる。韓国企業は900点前後だ。450点未満の社員も少なくない実情を考慮しない社長の思いだけが先行して、社内で自由闊達な議論がなくなり、情報の格差・歪曲が起こらないかと気がかりだ。

「社内で自由闊達な議論がなくなり、情報の格差・歪曲が起こらないかと気がかりだ」

ここで僕は、石原都知事の下で強行されている東京都の学校での職員会議における挙手採決の禁止を思い出しました。

どんなに勉強をしても、外国語の能力が母語を超えることはできません。
中途半端に英語ができる人ほど、英語習得の問題を軽く考えがちです。
まともな経営者なら、社内で自由闊達な議論がなくなることが会社の死につながることを真剣に考えるべきでしょう。

成田先生の論考は後半が一段と鋭くなります。
今回の社内公用語化問題の背景にある外国語教育政策の歪みに筆が進むのです。

こうした企業の勘違いは、文科省の教育行政の誤りと軌を一にする。02年の「英語の使える日本人の育成」構想に沿って「文法と読解」が大幅に削減され、09年には高校の学習指導要領で「授業は英語で行う」という基本方針が示された。ところが、中教審の外国語専門部会の議事録には「授業は英語で」の記載がない。委員の間で討議もされていないことを文科省の役人が方針と定めたのだ。教師に英語で授業がしっかりできるかも懸念されるが、それで生徒に英語力がつくかは疑わしい。落後者が満ちあふれたら、責任は取れるのか?

オーラル・コミュニケーション偏重の学習指導要領の下で3年間学習した最初の高校生がセンター試験を受験した97年には、成績が偏差値換算で10点急落し、中学生も高校入学時の成績が95年から11年間で7点低下した、との研究報告もある。

日本語とかけ離れた言語的な特徴を持つ英語の習得には、文を構成し理解する仕組み=文法が不可欠であり、これが英語運用力の基盤となる。文法が弱いままでは、「読み書く」どころか「聴き話す」能力も育たない。文法をしっかり教え込めば、あとは発音の仕組みを理解・体得させることで、運用力が飛躍的に向上するのだ。英語の社内公用語化よりも前に、言語習得の原点を踏まえた英語教育が望まれる。

この後半部には、この数年、成田先生や私たちが積み重ねてきた文科省の「コミュニケーション偏重論」への批判が、切れ味鋭く言語化されています。

楽天ユニクロの英語社内公用語化問題は、現在の英語教育政策が生み出した「なれの果て」ではないでしょうか。

これこそ「成果」だ、と考える人も必ずいるでしょう。
ですが、その「成果」を誰よりも喜ぶのは、アメリカです。
自分の「母語」だけで世界的に商売ができるのですから、ますます優位性が高まります。

楽天ユニクロの社長に「名誉白人」の称号が贈られる日も近いでしょう。