希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『阪出譚話会報告』①(1885)

自由民権運動の高揚もピークを過ぎ、明治10年代後半は不平等条約改正をめざして「欧化主義」が高まる。

そんな1885(明治18)年、現在の香川県坂出市(当時は阿野郡坂出村)で住民有志が「阪出談話会」を設立した。一種の地域文化サークル活動と言えよう。

その機関誌である『阪出譚話会報告』をご紹介しよう。

残念ながら国会図書館にも全国の大学図書館にも登録されていないようだが、明治中期に於ける地方の文化運動を知る上でたいへん興味深い記事が載っており、英語教育に関連した記事も散見される。

1885(明治18)年7月10日発行の第1号の表紙と、同号に掲載されている「阪出談話会規約」は以下の通り。

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2カ月後の9月10日に発行された第2号には「当地の有志某氏」の発起にかかる「阪出英語学界設立ノ檄」が掲載されている。

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欧化主義が叫ばれ、鹿鳴館時代」(1883~1890)と呼ばれたこの時期には、英語教育が隆盛をきわめ、1886(明治19)年に発足した高等小学校の多くには英語科が置かれた。

しかし、同年には尋常中学校が各道府県につき1校に制限されるなど、英語を学ぶ環境は甚だ乏しかった。
そうした中で、民衆による自主的な英語学習会が各地に設立されたのである。

「阪出英語学会」もそうした民衆による学習運動の1つであると言えよう。
なお「学会」とは「勉強会」の意味であり、今日のような権威主義的な研究組織ではない。


内容を解説したいが、いまから「ハリーポッター死の秘宝」を観に行くので、これにて失礼します。
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