希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

平和,民主主義,民族連帯のための英語教育を(1)

3月13日に京都大学で,国際研究集会2012「大学における外国語教育の目的:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える」が開催されました。→過去ログ

このシンポジウムでの私のセッションは,「『ヨーロッパ言語共通参照枠』から英語教育の目的を考える」でした。
ここで私がプレゼンしたお話しをご紹介します。

このシンポは京都大学のフランス語の先生たちが中心になって開催し,当日も英国などに加えて,特にフランスからの研究者が多数おいででしたので,私もプレゼンもそうした外国人の聴衆を意識してお話しにしたことをお断りしておきます。

当日は最後のプレゼンでしたので,聴衆の疲労を考え,いくつか「笑い」をとったのですが,同時通訳の制約からか,フランス人研究者はあまり笑ってくれませんでした。(^_^;)

なお,英語教育の「目的」とは長期的ないし終局的なレベル(goal)であり,学習指導要領が掲げる「目標」(Objectives)とは区別しています。

平和,民主主義,民族連帯のための英語教育を

      江利川 春雄(ERIKAWA, Haruo 和歌山大学

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 和歌山大学の江利川です。私は教育学部で英語教員の養成に従事しています。このシンポジウムにお招きいただき,たいへん光栄です。
 このシンポジウムでは、私は大学だけでなく、中学校や高等学校も視野に入れてお話しさせていただきます。

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 さて,日本の英語教育の目的とはなんでしょうか。
 日本では100年以上前から、英語教育の目的には教養目的実用目的の2つの目的があるとされてきました。
この2重の目的規定は現在でも正しいと思います。

しかし、あとでお話しするように、今日の日本では経済界の強い圧力の下に「仕事で使える」といった実用目的だけが強調され、それが英語教育を歪めています。

 英語教育には教養目的と実用目的があることを確認した上で、1945年の第二次世界大戦に敗れた後の戦後の英語教育の目的とはなんでしょうか。
私は,平和,民主主義,民族連帯を担う日本人を育成することだと思っています。
 (ただし日本人といっても、国籍ではなく日本の学校で学ぶ人という意味です。)

こうした目的は、私が勝手に思っているわけではありません。
 英語教育も含めた日本の学校教育の目的は,1947年に施行された教育基本法によって定められています。

教育基本法には,「教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成するために行う,と定められています。
この教育基本法は,一切の戦争放棄と軍事力を持たないことを宣言した日本国憲法と同時に誕生しました。これらが誕生した背景には,戦争への痛烈な反省がありました。

 日本は戦前,朝鮮半島や中国などの周辺諸国を侵略し,ナチス・ドイツおよびファシスト・イタリアと同盟を結んで第二次世界大戦を戦いました。
そうした戦争を遂行する国民を作るために,日本では学校教育が強く利用されました。

英語教育も例外ではありません。
 英語教科書にはヒットラー、そしてムッソリーニを礼讃する教材が載せられました。
 いまスライドに映っているのが、日本の文部省が検定認可した1930年代以降の中学校用の英語教科書です。

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 1937年に日本は中国への侵略戦争を本格化しますが、代表的な英語教科書では中国から凱旋する兵士たちが英雄として教科書の巻頭に掲げられていました。

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 GunやTankという言葉を使って単語を教える教科書もありました。

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このように、英語や英語教育は戦争のために利用することもできるのです。

 スキル主義の誤りは、たとえて言えば、ナイフの研ぎ方だけを教えることにあります。
 しかし、そのナイフを人殺しのために使うのか、あるいは身体の冷えた隣人を暖めるシチューを作るために使うのか。そこまで教えるのが,本当の教育ではないでしょうか。

 さて,日本は1945年に戦争に敗北し,教育制度も大きく改められました。
 戦後の教育は、戦争を鼓舞した教材に墨を塗って、戦争を否定することから始まりました。

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 日本人は,学校教育を二度と戦争の道具にしないという誓いに基づいて,日本国憲法教育基本法を制定しました。
 「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成するという戦後教育の崇高な目的は,こうして生まれたのです。

 私たちは,日本人だけで約300万人の戦争の犠牲者,周辺アジア諸国では1000万人とも2000万人とも言われる犠牲者の上に,戦後の崇高な教育目的が定められたことを,忘れてはなりません。

 したがって,英語教育の終局目的も,世界の平和,民主主義,民族連帯に寄与するものでなければならならないのです。

(つづく)