3月13日に京都大学で開催された,国際研究集会2012「大学における外国語教育の目的:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える」で私が発表した「平和,民主主義,民族連帯のための英語教育を」の第2回です。
キーワードの第1は「自由」です。
日本のほとんどの生徒たちには,外国語を選択する自由がありません。
日本のほとんどの生徒たちには,外国語を選択する自由がありません。
小学校と中学校では,英語しか教えていない学校がほぼ100%です。
しかも政府は1998年から,中学校の「外国語科においては,英語を履修することを原則とする」と定め,英語一辺倒主義を一段と強めました。
複言語主義へと進んだヨーロッパとは正反対です。
高校では中国語などの英語以外の外国語を開講する学校が少しずつ増えてはいますが,まだすべての高校の3分の1程にすぎません。
しかも,これは学校数であり、英語以外の外国語を履修している生徒の割合でみると、たったの1.3%です。
つまり、ほぼ99%の高校生は英語以外の外国語を学ぶ機会を奪われているのです。
大学でも1990年代以降,政府は英語だけ学べば卒業できるように政策を変えました。
こうした英語一辺倒主義が,日本人の世界認識を歪めています。
2011年の政府の調査では,日本人が最も親しみを感じている国はアメリカ合衆国で,その割合は82%にも達します。
他方,中国に親しみを感じている日本人は26%,中東諸国は14%だけです。
アメリカが中東のアフガニスタンやイラクに侵攻したとき,日本政府はただちに協力しました。
そうした誤った政策を可能にした背景には,英語一辺倒主義によって形成された日本人の歪んだ世界認識があるのではないでしょうか。
そうした誤った政策を可能にした背景には,英語一辺倒主義によって形成された日本人の歪んだ世界認識があるのではないでしょうか。
1947年に出された文部省の最初の学習指導要領には、英語教育の目的が、アメリカなどの「英語を話す国民について知ること、特に、その風俗習慣および日常生活について知ること」だと書かれています。
それは、当時のアメリカの占領政策とも合致していましたし、東西冷戦下で日本がアメリカと軍事同盟を結ぶという政策とも合致していました。
そうした教科書で英語を学んだ世代が,現在の日本の政策を担っているのです。
そうした教科書で英語を学んだ世代が,現在の日本の政策を担っているのです。
つまり,これからの日本が,アメリカの軍事基地や原子力と決別し,特定の国だけに依存せずに,世界の様々な国家や民族と対等平等に交流し合う真の平和国家へと脱皮するためには,言語政策の面でもヨーロッパのような複言語・複文化主義への転換が必要なのです。
ですから,日本の私たちが『ヨーロッパ言語共通参照枠』から学ぶべき第一のことは,複言語主義の理念をふまえて複数の外国語をすべての学校で開講し,子どもたちに外国語を選択する「自由」を保障することです。
とりわけ,かつて侵略戦争や植民地化を行った周辺アジア諸国の言語と文化を学ぶことは急務です。
また当面は英語しか教えられない状況であっても,
(1)英語が多様な外国語への入口の一つにすぎないことを英語教師は明確に自覚し,
(2)英語教科書の中に世界の様々な言語や文化を紹介する教材を盛り込むことが必要です。
(1)英語が多様な外国語への入口の一つにすぎないことを英語教師は明確に自覚し,
(2)英語教科書の中に世界の様々な言語や文化を紹介する教材を盛り込むことが必要です。
こうした実践はすでに始まっています。
(3)さらに今後は、多言語的な素養をもった英語教師を育成することも重要でしょう。(つづく)