希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「日本人の英語学習史から学ぶ」(6)

「日本人の英語学習史から学ぶ」の続きをお送りします。

その前に,今朝の朝日新聞によれば,昨年の福島原発事故直後の3月17~19日に,米エネルギー省が飛行機で放射能測定を行い,その貴重なデータをただちに日本政府(外務省)に送っていたにもかかわらず,政府(原子力安全・保安院文部科学省)はこれを公表せず,隠し続けていたことが判明しました。


信じがたいことです。

このデータ隠しのおかげで,子どもや妊婦を含むどれほどの人々が被ばくしてしまったことか。
まさに,殺人的な行為です。

野田首相をはじめ,こんな政府に原発を再稼働させる権利と能力があるのでしょうか。

原子力マフィアたちの触手が,どれほど深く浸透していたのかに慄然とします。

前回も書きましたが,原発に対する態度こそが,今では民主主義の試金石」なのです。

原発の問題は「原発問題」だけにとどまらないのです。

本質的に危険である原発は,ウソとゴマカシなしには動かせない「利権と反民主主義の巨神兵なのですから。(「巨神兵」がわからない人は調べましょう。)

この国の将来のあり方と,民主主義そのものが問われているのです。

と,今回も怒りを抑えるのは難しいですが,なんとか切り替えましょう。

さて前回は,調査の結果,英語大家たちは「多読」をもっとも推奨していたことがわかりました。

もう少し,そうした声を聞いてみましょう。

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塩谷栄は,教科書は精読,好きな書物は多読と,使い分けを説いています。
妥当な意見でしょう。

津田梅子は「最初先づ諳誦せしめ,然る後理屈張った文法を教へ込む様にせねばいけません」と,以前紹介した岡倉由三郎と同様の意見を述べています。

面白いのは(女性には面白くないかな),「殊に女子の英語は文法を抜きにしてやる事が得策の様です」と述べている点です。

もちろん,女性は論理が苦手というのは迷信でしょうが,当時の女子教育のパイオニアの意外な発言として,時代の雰囲気を感じます。

ただ,僕の経験でも,文法にあまりこだわらずにどんどん英語をモノにしてしまうタイプは女子に多い気がします。(外国語は一般的に女子の方が優秀なようですが。)

みなさんは,どう思われますか?

さて,旧制世代の最後の例として,旧制一高(現・東大教養学部)に学んだ伊藤和夫らの壮絶な多読振りを紹介しましょう。

拙著『受験英語と日本人』でも冒頭で紹介したのですが,敗戦直後の東大「英語会」では,「1,000ページを超すトルストイの『戦争と平和』の英訳版を1日足らずで読み飛ばすという壮絶な多読競争も行われた」とのことです。

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後に予備校講師となった伊藤和夫は,左から右へと英文の流れに沿って読む「直読直解」の方法を追求し続けますが,その原体験は一高「英語会」での多読練習にあったのかもしれません。

東大といえば,文学部英文科主任教授だった市河三喜を忘れることができません。

私は市河三喜の娘さんである野上三枝子さんに何度かお目にかかり,論文などもいただきました。
気さくで,なんでもはっきり意見をおっしゃる魅力的な方でした。

その野上さんも英語教育(特に児童英語教育)に関わっておられましたから,DNAの力はすごいですね。

さて,市河三喜の猛烈な英語学習ぶりを見てみましょう。

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僕は不勉強な自分にカツを入れるために(?),ときどき取り出しては読み直しています。

「英語学習時代」と題して『カレント・オブ・ザ・ワールド』1947年5・6・7月号に連載されたもので,『小山林堂随筆』(1949)に再録されています。

(つづく)