「日本人の英語学習史から学ぶ」の第7回,最終回です。
再稼働の大飯原発で早くもトラブル。なのに公表は13時間後。相変わらずの事故・トラブル隠し体質。どこが「特別監視体制」なのか。ウソばっかりの原発ムラ。体質は全く変わっていない。大事故がマジで心配。原発を止めろ!
http://mainichi.jp/select/news/20120620k0000e040206000c.html
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さて,これまで主にオーラルヒストリーの視点から日本人の英語学習史を見てきました。
コメント欄にも書きましたように,学習法は対象がだれか,入門者なのか上級者なのかをふまえて精緻に考察する必要があります。
今回の連載の調査対象は,主に旧制中学校上級生ないし高校・専門学校以上の中・上級者が中心です。
最後に英作文の学習法と,通信教育,通信添削,ラジオ講座による英語の学習史について述べます。
まず英作文。
英作文は「英借文」と語るのは,佐伯好郎です。
いまでもこの言葉はよく語られますが,すでに1918(大正7)年には言われていたことがわかります。
また,“The good writing comes from the good reading.” という最後の言葉も重要です。
ライティングというアウトプットのためには,たくさんの英文を読むというインプットがきわめて大切です。
日本では過去20年ほどのあいだに会話中心の「コミュニケーション重視」が推進されました。
そのために,中学校も高校も英文の分量が大きく削減されました。
そのために,中学校も高校も英文の分量が大きく削減されました。
その結果,何が起こったか?
英語を書く力の大幅低下です。
日本の日常生活では英語を使いません。
使わない英語をどう学習するか。
そういう発想で英語教育をやらないと,ますます「使い物にならない」レベルの英語力になってしまうのです。
使わない英語をどう学習するか。
そういう発想で英語教育をやらないと,ますます「使い物にならない」レベルの英語力になってしまうのです。
では,日常使わない言葉を身につけるにはどうするか?
繰り返し発音し,執拗に読み,何よりも書かなければならないのです。
ここで,明治初期と昭和戦前期の英語学習者のノートをお見せしましょう。
前者は,毛筆で自分の単語帳を作っています。
後者は,ひたすら単語を書いて覚えています。
後者は,ひたすら単語を書いて覚えています。
広告が言うように,「聞き流すだけで自然に英語が身につく」なんて,大嘘でしょう。
あるとしても,自我を捨て,自分の知性を赤ちゃん並みに落とせる一部の変人(変態?)でないと不可能でしょう。
戦前の日本は貧しく,能力は高くても中等学校に進学できない多くの人々がいました。
そうした人たちのうち向学心の高い人たちは,通信教育を通じて英語を学びました。
明治中期から,郵便を使った通信教育機関が数多く存在していました。
そうした人たちのうち向学心の高い人たちは,通信教育を通じて英語を学びました。
明治中期から,郵便を使った通信教育機関が数多く存在していました。
通信添削で学ぶ人たちも戦前からいました。
下の写真は欧文社(旺文社の前身)の通信添削です。
下の写真は欧文社(旺文社の前身)の通信添削です。
旺文社といえば『蛍雪時代』を想い出す人も多いのではないでしょうか。
総合受験雑誌『蛍雪時代』は1940年代には,発行部数において受験雑誌の王者になっていました。
その全身は,欧文社の通信添削の会員誌『受験旬報』でした。
総合受験雑誌『蛍雪時代』は1940年代には,発行部数において受験雑誌の王者になっていました。
その全身は,欧文社の通信添削の会員誌『受験旬報』でした。
さて,以上7回にわたって明治以降の英語学習史をみてきました。
最後に,敬愛する田中菊雄の言葉を借りて,大切なことを申し上げます。
それは,誰にでも当てはまる唯一絶対の英語学習法はない,ということです。
人間の認知特性はたいへん多様です。
自分の個性に合った学習法を自分で見つけること。
それ以外にありません。
そのためには,まずは授業を中心に「がむしゃらに」英語を学んでみること。
そして,「なかなか伸びないなあ」とため息をつきながら,いろいろな学習法を試してみることです。
ただ,そのためには,さまざまな学習法に関する情報が必要です。
この連載が,その一助となれば幸いです。
といっても,学習法の研究は緒についたところ。
これからが本番だと思っています。
これからが本番だと思っています。