久しぶりに,「日本人の英語学習史から学ぶ」の続きをお送りします。
その前に,大飯原発の再稼働を決めた野田め政権に強く抗議します。
原発に関する知識も判断能力も節操もない人間が,まともな安全対策もとらず(とれるはずもないのですが),一国のエネルギー政策の根幹に関わる問題,いや日本人と周辺諸国民の生存に関わる問題を,かくも軽率に決めてしまう。
原発に対する態度こそが,今では民主主義の試金石であるという思いを強くしました。
怒りを抑えるのは難しいですが,今は切り替えましょう。
さて,前回は内村鑑三,田中菊雄を例に,英語学習法に関する大家の意見を見てきました。
次に,講演筆記録『英語研究苦心談』(1925)や各種雑誌などに掲載された英語大家たちの学習法に関する意見を調べ上げ,それらを計量的に分析することにします。
次のような錚々たる人たちが意見を述べています。
精読,多読,音読,文法,諳誦などなど,多様な学習方略のうち,どれをオススメしているかをデータベース化しました。
その際に,各学習方略を◎ 3点,○ 2点,△ 1点,× -1点と点数化しました。
マイナスというのは,「こういう勉強法はやめておけ」という意味です。
マイナスというのは,「こういう勉強法はやめておけ」という意味です。
一覧にすると次のようになります。
以上の結果を集計すると以下のようになります。
わかりやすくするために,グラフにしてみましょう。(横軸は得点です。)
これで見ると,堂々の第1位は「多読」です。
次に「留学」。
ただし,これには注意が必要です。
ただし,これには注意が必要です。
調査対象の多くは,旧姓高校や専門学校,大学の英語教師でした。
夏目漱石がそうであるように,彼らの多くは文部省から留学を命じられていました。
こうした経歴が,「留学」という方略の数字を押し上げています。
彼らは必ずしも学習者に「留学すること」を推奨しているわけではありませんので,ご注意を。
(ですから,この「留学」というファクターは,今回の集計から切り離すべきだと今は考えています。)
夏目漱石がそうであるように,彼らの多くは文部省から留学を命じられていました。
こうした経歴が,「留学」という方略の数字を押し上げています。
彼らは必ずしも学習者に「留学すること」を推奨しているわけではありませんので,ご注意を。
(ですから,この「留学」というファクターは,今回の集計から切り離すべきだと今は考えています。)
また,調査対象者の属性から,英語学習法を説いている主な対象は,中学校上級生ないし高等学校・専門学校の学生であると考えられます。
ですから,「多読」が第1位になったのだといえるでしょう。
ですから,「多読」が第1位になったのだといえるでしょう。
これらをふまえて,安易に一般化できないことにご留意ください。
さて,第3位は「母語話者の利用」,第4位は「精読」,第5位は「文法」の学習,第6位は「諳誦」,第7位は「音読」と続きます。
ところで,こうした調査に当たって大事なことは,断片的な情報を鵜呑みにせず,なるべく多くの情報と突き合わせて,可能な限り「全体」に迫ることです。
真理は常に全体なのです。
真理は常に全体なのです。
たとえば,多読を奨励する夏目漱石の意見を見てみましょう。
1906(明治39)年に漱石は,「英語を修むる青年はある程度まで修めたら辞書を引かないで無茶苦茶に英書を沢山と読むがよい」と述べています。
というのは,漱石は5年後の1911(明治44)年の談話では「今の中学でただ練習の結果自然と英語を学ぶのは困難である。やむをえずまず規則を知ってそれを骨とし、それに肉を着せて互いの意志の疎通するように話し書く外はない」と文法の大切さを述べているのです。
それにしても,「少時間の練習では、とてもべちゃべちゃしゃべり散らす域に進むことは 出来ない」という漱石の意見は,わずか週3時間の英語の授業で英会話中心の「実践的コミュニケーション能力」の育成を図ろうとした中学校学習指導要領(2002-11年度)の愚かさを茶化しているかのようです。
(つづく)