希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本の外国語教育政策史点描(3)コミュニケーション重視へ(その1)

コミュニケーション重視への転換

教育課程審議会答申(1987)

臨時教育審議会の最終答申(1987年8月)を受けて、文部省の教育課程審議会は1987(昭和62)年12月24日に「幼稚園、小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について」を文部大臣に答申した。

内閣総理大臣の諮問機関から文部省の審議会に基本方針が降ろされ、それが具体化するという「政治主導」の教育政策が、ついに実行に移されたのである。

改善方針の全体に関しては、4つのねらいが打ち出されている。

(1) 豊かな心をもち,たくましく生きる人間の育成を図ること
(2) 自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視すること
(3) 国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し,個性を生かす教育の充実を図ること
(4) 国際理解を深め,我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること

このうち、特に(2)と(4)が新たに盛り込まれた方針だといえよう。
この2点は外国語科の方針にも強く反映している。

外国語科の「改善の基本方針」では、以下のように述べられている。

「中学校及び高等学校を通じて,国際化の進展に対応し,国際社会の中に生きるために必要な資質を養うという観点から,特にコミュニケーション能力の育成や国際理解の基礎を培うことを重視する。このため,読むこと及び書くことの言語活動の指導がおろそかにならないように十分配慮しつつ,聞くこと及び話すことの言語活動の指導が一層充実するよう内容を改善する。また,生徒の学習の段階に応じて指導が一層適切なものになるよう指導内容をより重点化・明確化するとともに,生徒の実態等に応じ多様な指導ができるようにする。さらに,これらを通じ,外国語の習得に対する生徒の積極的な態度を養い,外国語の実践的な能力を身に付けさせるとともに,外国についての関心と理解を高めるよう配慮する。」

このように、コミュニケーション重視路線への転換の背景には、「国際化の進展に対応し,国際社会の中に生きるために必要な資質を養う」ことが理由として挙げられている。

では、この時代に、いったい何が起こったのだろうか。

1980年代後半の日本経済の「国際化」は、その後の「グローバル化」への転換点だった。

特に1985年9月23日にプラザ合意が発表されると、対ドルレートで同年9月上旬に1ドル240円台だった円相場は暴走的な円高基調となり、わずか3カ月後の11月には121円台となった。
円の価値が一気に2倍になったのである。

急激な円高によって輸出競争力が著しく低下したため、日本企業は海外生産と海外直接投資を爆発的に増加させた。
1986年から1989年のわずか4年間に日本企業が海外に投資した金額は、1951年から1985年までの35年間の累積額の約2倍にも達したのである。

製造業の海外生産比率も高まり、1980年度にはわずか2.7%だったものが、1988年度に4.9%、1995年度に11.6%、2002年度に18.2%に増加した(経済産業省「海外事業活動基本調査」)。

こうした急激な国際化・グローバル化の進展に対応すべく、教育課程審議会答申に「コミュニケーション能力の育成や国際理解の基礎を培うことを重視する」ことが明記されたのである。

この方針は、1988年に告示された学習指導要領の目標に、ほぼそのまま取り入れられた。

ただし、「コミュニケーション能力の育成」はさすがに無理だと判断したのか、「外国語の習得に対する生徒の積極的な態度を養い」という方針を加味して、指導要領では「外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てる」という表現に落ち着いた。

学習指導要領に初めて「コミュニケーション」という概念については、答申中には明確な規定がない。
しかし、「聞くこと及び話すことの言語活動の指導が一層充実するよう内容を改善する」と述べているように、音声や会話を重視した方針であることは明らかである。

そのため、「改善の具体的事項(中学校)」では、従来まで言語材料において「聞くこと,話すこと」が一体になっていたものを「聞<こと」と「話すこと」に分離独立させ、「読むこと」「書くこと」と合わせて4領域(4技能)で構成することとし、「聞くこと及び話すことの指導が一層充実するよう内容を改善する」とした。
(なお、次期1998年告示の中学校学習指導要領では「聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力の基礎を養う」として、一段と「聞く」「話す」が重視された。)

以上の方針は、臨教審の第二次答申(1986)で「中学校、高等学校等における英語教育が文法知識の修得と読解力の養成に重点が置かれ過ぎている」と指弾したことを受けての対応と考えられる。

同様に、「生徒の実態等に応じ多様な指導」や「外国語の実践的な能力を身に付けさせる」といった文言も中教審答申を踏まえた変更である。

コミュニケーション重視の学習指導要領(1988)

以上のような臨教審答申と教育課程審議会答申を受けて、1988(平成元)年3月15日に中学校学習指導要領が告示され、1993(平成5)年度から実施されることになった。

こうして、1990年代から、中学・高校の英語教育は「コミュニケーション重視」に転換したのである。
これに伴い、1958(昭和33)年告示の指導要領から続けられてきた文法・文型の学年配当は廃止された。

中学校外国語科の目標は以下のように設定された。

「外国語を理解し、外国語で表現する基礎的な能力を養い、外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てるとともに、言語や文化に対する関心を深め、国際理解の基礎を養う。」

この他、中学校では外国語が週4時間まで履修可能になり、1980年代の「週3体制」が崩壊した。

題材は世界の人々および日本人の日常生活等となり、「国際社会に生きる日本人としての自覚を高めること」が盛り込まれた。ナショナリズムの強化である。

ネイティブ・スピーカーの活用が謳われ、JETプログラム(1987)と相まって、ティーム・ティーチングが促進された。

この指導要領のもとで作られた教科書には以下のような特徴があった。

・1993年度版全体の課別の登場人物(実質)は、米国人53%、日本人74%に。アジア・アフリカ等も32%に急増し、多国籍化した。

・日本人が「国際貢献」をする題材や俳句、将棋、落語等の伝統文化の題材が増加した。

・「聞く・話す」や、ティーム・ティーチング対応の教材が増えた。

・policeman→police officerなどジェンダーフリーの表記が増えた。

以上見てきたように、1980年代後半からの日本企業の国際展開が、学校英語教育における「コミュニケーション重視」への転換の重要な一要因だったといえよう。

ただし、こうした企業の論理を学校教育に求めたところで、子どもたちがすぐさま英語でコミュニケーションできるようになるわけではない。

それどころか、日本の言語環境を無視した英会話重視の路線が、むしろ英語学力の深刻な低下を招いていくことになるのである(後述)。

(つづく)