希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本の外国語教育政策史点描(4)コミュニケーション重視へ(その2)

JETプログラムの光と影

1980年代の日本は好景気で、大幅な対米貿易黒字を計上していた。
他方、1981(昭和56)年にアメリカ大統領に就任したロナルド・レーガンは、軍事支出の大幅に増やした。
そのため米国は財政赤字が拡大し、貿易収支も赤字という「双子の赤字」に悩まされていた。
1985年にはアメリカの対日赤字が500億ドルに達し、「ジャパンバッシング」が起こった。

そうした対日貿易赤字の解消策の一環として、ある事業がレーガン大統領と中曽根康弘首相との「ロン・ヤス」会談で合意され、1987(昭和62)年8月に開始された。

「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme:JETプログラム)だった。

この事業は、地方公共団体が、自治省(現総務省)、外務省、文部省(現文部科学省)などの協力を得て実施した。
1986(昭和61)年10月1日には、JETプログラムの円滑な推進を図るために、都道府県と政令指定都市により国際化推進自治体協議会が設立され、1989(平成元)年8月16日からは財団法人自治体国際化協会に引き継がれた。

それを統括する自治省には、当初より地方自治体を国際化したいという思惑があったが、問題はその財源だった。
そこで、地方交付税の「地域振興費」による財政措置という手法で地方の国際化推進の財源を確保し、政策の転用によってJETプログラムを立案したのである。(古川和人(2000)「JETプログラムの政策立案に関する研究:自治省による立案の経緯と財政措置を中心として」『日本教行政学会年報』第26号、日本教行政学会)

そのため、この事業は主な財源を握る自治省が主幹となり、文部省の発言力は当初より小さかった。
日本のJETプログラムは外国語教育のために立ち上げられた事業ではなく、「交際交流」(その裏は対米貿易黒字の削減)が主目的だった。

こうした事情から、招致される外国人は教育的な資格や経験を要件にされることなく、しかも任期が3年(のちに5年)のため経験を積んだ頃には帰国する制度となっている。

ちなみに、韓国のEPIK(English Program in Korea)では、TESOL(Teacher of English to Speakers of Other language)やTEFL(Teaching English as a Foreign Language)などの英語教育の専門資格所持者や教育経験を持つ英語圏出身者を優遇するシステムを採用し、効果を上げている。

JETプログラム参加者の職種は、
①小学校・中学校や高等学校で外国語指導に従事する外国語指導助手(Assistant Language Teacher:ALT)
②地域において国際交流活動に従事する国際交流員(CIR)
③地域においてスポーツを通じた国際交流活動に従事するスポーツ国際交流員(SEA)
の3種類だが、約9割がALTとして小・中・高校で外国語教育に関わっている。

JETプログラムによる来日人数は、初年度の1987年にはアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド4カ国から848人だった。
1989(平成元)年には招致対象言語をドイツ語、フランス語にも拡大し、8カ国1,987人に増加した。

ピークは2002(平成14)年の40か国・6,273人で、この年には小学校での「外国語会話等」の導入に伴って小学校専属ALTを創設した(初年度20名)。
2013(平成25)年までに62カ国・のべ55,000人を超えた。その約4割はアメリカ人で、英語圏出身者が圧倒的に多い。

外国人指導助手の招致事業はJETプログラム以前にも存在した。
1969年~1976年のフルブライト助手制度によって数十名のアメリカ人が来日した。
この制度は、在日合衆国教育委員会フルブライト委員会)と日本の文部省が協力し、各都道府県の英語担当指導主事の助手としてアメリカ人を招致し、英語教員の研修等に活用する制度だった。

1977年には、フルブライト助手制度が文部省に引き継がれ、MEF(Mombusho English Fellows)制度となった。
これは、中学校や高校の英語担当指導教員の補佐役として「外国語としての英語教育」を修得したアメリカ人などを招致する制度で、参加者の能力はたいへん高度だった。 (和田稔(1987)『国際化時代における英語教育:Mombusho English Fellowsの足跡』山口書店)

他にも、文部省が同時期に行っていた事業にBETS(British English Teacher Scheme)制度があった。
こちらは教育ではなく日英の国家間の交流を目的としており、MEF制度に比べJETプログラムにより近い制度だった。

1986年度には、このMEF制度とBETS制度とを合わせて307人が招致されていた。
しかし、翌年度からのJETプログラムによって、両制度は廃止されたのである。

政府はJETプログラムを一貫して推進し、拡充しようとしている。
文部科学省の「『英語が使える日本人』育成のための行動計画」(2003~2007)では、2008年をめどに「中・高等学校の英語の授業に週1回以上はネイティブスピーカーが参加する」ことを目標とし、JETによるALTの配置拡大が進められた(実際には全体の約4分の1以下にすぎなかったが)。

さらに、「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」(2013)でも、小学校外国語活動の低学年化等の実現に向け、「JETや民間のALT等、外部人材のさらなる活用が不可欠」だとしている。

ただし、民主党政権下の2010年に事業仕分けでJETプログラムが「見直し事業」に分別されたこともあり、JETによるALTは減少傾向にある。
代わりに民間業者からの派遣によるALTが増加し、低賃金などもあって質の低下を指摘する声もある。

JETプログラムは、対米「黒字減らし」を意図した「国際交流」のための事業で、英語教育向上のための事業ではないため、正式な教育資格等を持たないALTが約8割を占めている。

そのため、ネイティブと接することでモティベーションが高まるといった評価がある一方で、外国語としての英語を教える力量などに対する批判が少なくなかった。

たとえば、高橋美津子はALTが正しく英文法を理解していないため指導が困難な実態を明らかにし、「ネイティブ信仰」の危険性を指摘している。(高橋美津子(2008)「ネイティブスピーカー信仰とその問題点」『KELT』第23号、神戸英語教育学会)

ALTが日本の児童生徒に効果的な英語指導ができるかを疑問視する声は当初から出ていた。

たとえば、若林俊輔(東京外国語大学教授)は、1989(平成元)年に「AET導入反対の弁」(『英語教育』第37巻第13号、13~15頁)を発表し、教員資格もない外国人を教壇に立たせる予算があるなら、日本人英語教員を海外に留学させ、英語力と英語指導力を鍛えさせた方がよいと主張した。

以下のように、若林は死の直前まで厳しく批判していた。 (若林俊輔(2002)「やはり『英語教育』のことですが」『語学研究(若林俊輔教授退官記念号)』99号、拓殖大学言語文化研究所)

「英語教育」について一言。何かというと、ここ10年くらいだろうか、わが国の英語教育(いや、外国語教育でもあるのですが)について、シロウトの発言が無闇矢鱈に大きく強くなってきた、ということです。とんでもないのは「英語が話せれば英語は教えられる」という主張(こんなものは「主張」でもなんでもない)です。その典型は「JETプログラム」です。英語を母語とする者ならば英語は教えられる、と思っているらしい。さらにひどいのは、英語がしゃべれる日本人ならば、だれでも英語は教えられると思っている。冗談ではない。私の母語は日本語ですが、私には日本語を教える能力も資格もない。こういう基本的なことが、世間様にはおわかりにならない。
言いたいこと。どうやら、わが国の「教育」全体が狂い始めているということです。英語について言えば、今や全国的に「英語狂騒曲」。調子はずれのトランペットを主旋律として、和音も何もなく、ただわめき散らしている。狂気の沙汰としか言いようがない。

「シロウトの発言が無闇矢鱈に大きく強くなってきた」「英語が話せれば英語は教えられる」という主張は、近年特に強まっている。

若林の警鐘に耳を傾けるべきではないだろうか。

(つづく)