希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『英語教育のポリティクス』の問題意識1

『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』(三友社出版)の問題意識を述べます。
同書の「はじめに」には以下のように書きました。

 英語の時間になると、子どもたちの瞳が輝き、職員室を出る先生たちの顔がほころぶ。
 そんな学校にするために、どうすればよいのでしょうか。
 教育とは、希望を語り合うこと。
 でも、希望に満ちた英語教育を進めていくためには、さまざまな障害物を取り除かなければなりません。そうした障害のうち最大のものは、詰め込み主義へと逆走し、一握りの英語が使えるエリート育成に特化した現在の外国語教育政策です。いま政府や財界が進めている<競争と格差>の教育政策を、<協同と平等>の教育政策へと転換させる必要があります。
 なぜ、外国語教育政策を転換させなければならないのでしょうか。その理由は本書のなかで詳しく述べていますが、ここでは10の「なぜ」を示しましょう。

疑問1. なぜ、英語が「好き」と答える中学生の割合が9教科中で最低なのでしょう。
疑問2. なぜ、中学生の英語の成績が10年以上も下がり続けているのでしょう。
疑問3. なぜ、教員や予算が不十分なまま、小学校の外国語活動を必修化したのでしょう。
疑問4. なぜ、高校現場の実情を無視して「授業は英語で行う」などと一律に決めてしまうのでしょう。
疑問5. なぜ、国の「英語が使える日本人」育成計画は英語の苦手な子どもを無視するのでしょう。
疑問6. なぜ、成果が検証できない習熟度別クラスを続けるのでしょう。
疑問7. なぜ、親の経済力と子どもの英語力とが比例する構造になったのでしょう。
疑問8. なぜ、英語の時間に「愛国心」や「奉仕の精神」などの道徳を教えさせるのでしょう。
疑問9. なぜ、英語教員の7割が過労死線上に置かれ、精神疾患が10年で3.4倍にも増えたのでしょう。
疑問10. なぜ、財界などから教育政策が出てくるのでしょう。

 子どもたちに外国語を学ぶ面白さを知ってほしい。英語がわかる喜び、伝え合える楽しさを味わってもらいたい。そのために、先生たちは授業に様々な工夫を凝らしています。しかし、土台となる教育政策が誤っているとしたら、先生たちは本来の力を発揮できないでしょう。それどころか、戦時中がそうだったように、先生が誤った国策遂行の「加害者」になってしまうかもしれません。
 そうしないために、本書では外国語教育政策の誤りを具体的に指摘し、これから進むべき政策の道筋を示したいと思います。その際、日本の英語教育史と現在の教育政策全般を視野に入れたマクロな視点から問題をとらえない限り、現在の英語科教育の危機は突破できないと私は考えています。
 いまや英語教育は「政治問題」です。教師も保護者も、もっと英語教育の政策的な面に目を向け、発言する必要があるのではないでしょうか。また、寺島隆吉氏が指摘するように、「政治に敏感でなければ、人権・環境・平和など、いわゆるGlobal Issues(人類的諸問題)を中心とする国際理解教育など、指導しようがない」のです(寺島2009:109)。子どもを守り、学びを深めるために、私たちはもっと政治的(ポリティカル)にならなければならないのではないでしょうか。本書のタイトルを「英語教育のポリティクス」としたのは、そうした理由からです。
 希望はあります。たとえば、英語が苦手な生徒と得意な生徒とが、教え合い・学び合いを通じて一緒に高め合う「学びの共同体」創りが、いま急速に広がっています。「ことばへの気づき」を深め、人間的な感性と批判的な思考力を高める実践も支持を集めています。反戦平和、人権擁護、民族連帯、環境保護などを盛り込んだ豊かな教育実践も粘り強く展開されています。困難な条件の下でも、学校にはしなやかな自主的・創造的な教育実践の風土が残されているのです。
 情勢も転換点を迎えています。2008年秋から始まったグローバル恐慌によって、「派遣切り」や「ネットカフェ難民」など、競争と格差の新自由主義政策がどれほど暴力的で非人間的であるかが明らかになりました。こうした政策への批判に背中を押されて、アメリカでは初のアフリカ系大統領が誕生するに至りました。フィンランドなどの北欧では<競争と格差>を是正し、<協同と平等>の教育政策へと転換したことで、世界トップレベルの学力を実現しました。日本でも、いまこそ政策を転換させるチャンスです。そのためには、どこが問題なのか、どうすればよいのかのポリティクスを知る必要があります。
 本書に収めた論考のうち、総論にあたる第1章は新たに書き下ろしました。それ以外の多くは、競争と格差の新自由主義教育政策が猛威をふるう時期に、これに対抗するために雑誌や学会誌などに寄稿したものです。新自由主義教育政策の最大の実験場は英語教育でした。その象徴が、グローバル企業に奉仕する英語エリートを育成するために政府が進めた「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」(2002)と同「行動計画」(2003~07年度)でしたから、これらへの批判にはかなりのスペースを割きました。
 新自由主義は復古調の新保守主義を伴いました。教育基本法の改変(2006)と、それをふまえた新学習指導要領(2008・09)では、英語の時間に「愛国心」や「奉仕の精神」を教えることが盛り込まれています。本書ではこうした危険な政策に対しても警鐘を鳴らしています。
 英語教育の最終的な目的は、ユネスコの「学習権宣言」(1985)が謳うように、「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体に変えていく」ことです。ことばに敏感で、権力者やメディアの情報操作にだまされず、真実を見抜いて変革に立ち上がることのできる主権者を育てることです。これほど魅力的な職業はありません。本書を通じて、そうした魅力を共有できれば、それに勝る喜びはありません。

2009年初夏
江利川 春雄