希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英語教育史入門講座1(実態に迫る資料を)

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英語教育史の研究でもっとも難しく、したがって面白いのは、学習者(教授者)の「実態」を解明することだ。だから、息づかいが伝わってくるような「生の資料」に触れたときほど嬉しいことはない。

英語教育史研究は、まず制度史を固めたい。
だが、文部省の公式資料・統計と実態との乖離は珍しくない。

そこで、都道府県レベルの教育史に進み、各学校の沿革史へと進む。

だがここで「分かった気」になると、ときに大けがをする。活字化された「公式」文書と「実態」との間にはしばしば乖離があるからだ。

たとえば、現在の高校でも「オーラル・コミュニケーション」が公式記録には載せられるが、その一部を割いて「英文法」や「英作文」などという裏メニューを教えている学校は多い。
必修科目のはずの世界史を教えなかったために大問題になったことも記憶に新しい。
活字を安易に信じてはいけないのだ。

教科書の語彙や内容を紹介するだけでもだめ。途中までしか教えていないことも多いからだ。
使用者の書き込みの分析などはかかせない。

という次第で、「実態」に肉薄するのは実に難しい。(だから面白い。)

写真のものは「欧文社(現・旺文社)通信添削会」の会員直筆の答案例(1935年7月)で、丹念に添削が施されている(答案は裏表。氏名・住所はボカした)。

成績は7667人中714番で、上位1割に入っている。偏差値にすると63程度で、かなり優秀だ。
これを現在の同レベル大学受験生の実力と比較すれば、当時と今との英語学力(といっても読解力だが)の比較ができる。
今度ゼミ生にやらせてみようかな・・・63の人がいるかな・・・(^_^;)

さて、ここで問題。この受験生は文系? それとも理系?
これは英語力をみるときの前提作業。

第一志望に「東藝」とある。現在のどこの学校でしょう?

正解は、「東京芸術大学
ではありませ~ん。

1935年当時の同大学の前身は東京美術学校東京音楽学校なので、「東藝」とはならない。
正解は1921年発足の官立(国立)「東京高等工藝学校」。
戦時中に東京工業専門学校となるものの、戦災で校舎が焼失し、千葉県松戸市に移転を余儀なくされ、戦後は新制の千葉大学工芸学部(のちに工学部)となった。

ちなみに、戦前の東京には「東京高等工業学校」というのもあったが、1929年に東京工業大学に昇格した(現在も同じ)。これがあるので「東工」ではなく「東藝」と言った。

さらに「東京高等工学校」というのもあったが、これは(私立)芝浦工業大学の前身だからややこしい。

といった次第で、「制度史」や「沿革史」も押さえておかないとヤケドをする。

最後に、第二志望の「明専」とは?

明治大学の専門部」だろうって?

ちがいます。(急にですます調になっちゃった。)

これは1921年に官立となった明治専門学校ですよ。
明治大学とは関係ありません。

どこにあったかって?
実は北九州なのです。現在の九州工業大学国立大学法人)の前身です。

つまり、この人は国立の工学部希望者だったのです。だから成績優秀。数学なども抜群。
以上をふまえて資料(=英語力)を吟味しないと、資料はなかなか「OK!」と微笑んでくれません。

以上、英語教育史入門講座でした。

(だれが受講するんじゃ!)

失礼しました。
<m(_ _)m>