希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

新宮と大逆事件100年

入試説明会のため、9月8日、和歌山県新宮(しんぐう)市の県立新宮高校に行ってきた。
高校1年生を対象に、教育学部の魅力を語るという企画。

用意したパワポが使えなかったので、講義形式で50分を2回。
高1生は可愛い。担任をしていたころを思い出した。

JR和歌山駅から特急「スーパーくろしお」で往復6時間。
東京出張とほぼ同じ。和歌山県はかくも広い。

和歌山県の魅力は、観光地・白浜より南の「紀南地方」にある、と僕は思う。

周参見(すさみ)を過ぎた当たりからの「枯木灘」が大好きだ。
大学生のとき大型バイクで疾走して以来、惚れ込んでいる。

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本州最南端の串本を過ぎ、マグロの水揚げ日本一の那智勝浦も過ぎる。
ここまでは何度も来たのだが、新宮市は実は初めて。前から訪ねたかった。

新宮に近づくと海が一変する。
これまで見慣れたゴツゴツした岩肌がなくなり、島影一つ無い太平洋が広がる。
その海の先は、アメリカ西海岸なのだ。

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こんな景色を毎日見ていたら、「ちょっと行ってくるで」という感覚でアメリカまで渡ってしまうはずだ。
かつては東京に行くのに船で何日もかかったから、東京行きもアメリカ行きもたいして変わらない感覚ではなかったか。
和歌山県が日本一の移民県であるのもわかる。

特急電車は1日に数本しかないから、説明会の前後に時間がゆったりと余る。
この「ゆったり感」が、街中を歩いてみろと誘惑する。

てくてくと熊野速玉大社へ。世界遺産で、熊野本宮大社熊野那智大社熊野三山を成す。
朱塗りの社(やしろ)が美しい。

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次いで、隣接する佐藤春夫記念館へ。東京の自宅を故郷の新宮に移築したもの。
肉筆原稿というのは、不思議な魅力がある。
ワープロ文化が失わせてしまったペンの文化だ。
次には、電子ブックが紙の書籍を追いやるのだろうか。
(ブログ文化も共犯関係か・・・ちょっと複雑な気分・・・)

圧巻は神倉神社。自然石の急な石段が538段も続く。
汗が噴き出てくる。さすが修験道の行場だ。

やっと登り切ると、新宮市内が一望できる。
涼風が心地よい。

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その展望台の上に、あった!
神の磐座(いわくら)と崇拝されてきた巨石「ゴトビキ岩」だ。

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仏教や神道以前の原始信仰を感じる。
熊野の魅力だ。

「ゴトビキ」とは熊野地方の方言で「ひきがえる」のこと。
言われてみると、強大な「ひきがえる」にも見える。
で、見終わったので「ひきがえす」。(^_^;)

帰りの坂は怖いほど急だ。
毎年2月6日の「お燈まつり」には、白装束に松明をもった男たちが、この石段を一斉に駆け下りる。
夜にこの石段を駆け下りる!? ほとんど自殺行為に思えてくる。
これが信仰の力なのか。

今年の異常な残暑の中、限界というほど歩いた。
ようやく新宮駅が見えてきたところで、「大逆事件の犠牲者顕彰碑」が目に飛びこんできた。
明治の天皇制国家が犯した史上まれに見る国家犯罪=冤罪事件である「大逆事件」(1910)。

碑の文書を読んだら、疲れが一気に抜けた。
疲れている場合じゃない、という感覚だ。

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新宮の庶民に「ドクトル(毒とる)」と親しまれた大石誠之助ら、熊野地方の6人の犠牲者を追悼し、顕彰している。

新宮市議会は、2001年9月、大逆事件は冤罪だったとして、紀州グループ6人の名誉回復と顕彰を宣言する決議案を可決した。

大石誠之助は米国オレゴン大学医学部を卒業し、新宮で医院を開業していた。
庶民からは薬代すら取らず、金持ちからは多めに取った。
自由と平等を求める心は社会主義へと向かい、「平民新聞」にも寄稿した。

これが天皇制国家には目障りとなった。
幸徳秋水らとの交流をきっかけに「天皇の暗殺計画」などという根も葉もない冤罪をでっち上げられ、絞殺されてしまった。

この「大逆事件」(内)と「韓国併合」(外)とは、コインの裏表の関係だ。
1910年の二つの事件から、今年は100年。

「新宮に呼び寄せられたな」と思いながら、帰路についた。

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【ご紹介】
佐藤春夫記念館館長の辻本雄一氏が執筆した『「大逆事件」と熊野新宮の犠牲者たち』和歌山県人権研究所、2010年刊、300円)はお勧めです。
お問い合わせは、和歌山県人権研究所へ。
jinken@fine.ocn.ne.jp