本日の朝刊を見て,深い悲しみに包まれました。
原田先生には学生時代を含め,何度かお目にかかりました。
飾らない人柄。ひょうひょうとしていながら,強靱な精神と正義感。
飾らない人柄。ひょうひょうとしていながら,強靱な精神と正義感。
東大を始めとする御用学者たちが水俣病の原因を隠蔽し,企業を擁護するなか,原田先生は一貫して被害者の立場に立ち,真実を武器に,御用学者や権力と闘ってきました。
私が初めてお目にかかったのは,1970年代の末頃だったでしょうか。
当時は,「公害」に代表される高度経済成長の歪みが露呈し,科学技術(者)の社会的責任が厳しく問われていました。水俣病は,その象徴です。
こうして技術者になることをやめ,経済学部で社会の仕組みを根本的に学ぶことにしました。
そんなときに出会ったのが,原田正純先生でした。
その誠実な人柄。
科学や技術が金儲けのためだけに使われたとき,どれほど民衆を苦しめるか。
水俣病を通じて,そのことを熱く(といっても木訥に)語る原田先生の言葉が,全身に染みわたりました。
少しでも原田先生に近づきたいと思いました。
科学や技術が金儲けのためだけに使われたとき,どれほど民衆を苦しめるか。
水俣病を通じて,そのことを熱く(といっても木訥に)語る原田先生の言葉が,全身に染みわたりました。
少しでも原田先生に近づきたいと思いました。
和歌山大学に赴任後には,2000年末に発覚した,和歌山大学の至近距離に産業廃棄物焼却場を作る計画に反対する運動に事務局長として取り組みました。
7000人を超す住民と訴訟参加団を組織し,大阪高裁まで闘って,産廃計画を断念させました。
7000人を超す住民と訴訟参加団を組織し,大阪高裁まで闘って,産廃計画を断念させました。
その闘いでは,原田先生の後任として熊本学園大学に赴任された中地重晴先生(当時は大阪の環境監視研究所主任研究員)が全面的に協力してくださいました。
(下の写真は,左より中地重晴先生,原田正純先生,江利川 2002年6月9日大阪で)
原田先生の生き方とは対極にある原子力マフィアの嘘つきで金まみれの御用学者たちが,企業,官僚,政治家と癒着して,どれほど悪どいことをしてきたか(いるか)。
原発の再稼働を許してはなりません。
原子力マフィアたちと戦い続けることこそが,原田先生のご恩に報いることだと思っています。
原田先生,やすらかにお休みください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
→関連記事