とても嬉しいことです。
この場を借りて、愛読いただきました皆さまに深く感謝申し上げます。
刊行以来、拙著はたくさんの書評をいただきました。
その一部は過去ログで紹介しました。
本日は、教員採用試験の一次に合格した2人のゼミ生(院生)の英語模擬授業対策のために、休日(大学の一斉休業のために年休を取得)にもかかわらず大学に出勤しました。
そのため、大学のレターボックスに届けられていた掲載紙に気づいた次第です。
評者の高野邦夫先生といえば、拙著の参考文献にも挙げさせていただいた『軍隊教育と国民教育――帝国陸海軍学校の研究-』(つなん書房、2010)の著者であり、『近代日本軍隊教育史料集成』全12巻(柏書房、2004)の編者です。
文字通り軍隊教育史研究の第一人者である高野先生から、「これまでの日本軍研究に欠落していたユニークな視角からまとめられた、待望の研究書といえよう」との評価をいただいたことに感激しました。
心から御礼申し上げます。
さらに、大修館書店の雑誌『英語教育』9月号でも、拝田清先生(四天王寺大学教授)がすばらしい書評を書いてくださいました。
私が言わんとしたことを、(私以上に)的確に言語化してくださり、感激しました。
とりわけ、「外国語教育の背負う『原罪』とでもいうようなことを思わざるを得ない」という部分に感動しました。
そうなのです。
私を含む外国語教員は、明治以来の自分たち(先輩を含む)の教育活動が日本近代史の戦争、侵略、敗戦といった大きな歴史事象と関連しており、まぎれもなく「原罪」を背負っていることを自覚しなければならないのです。
そうした自己批判を、いまは存在しない陸海軍(著しく復活しつつありますが)だけにではなく、自分を含む語学教員が迫られているのです。
この問題意識は、姉妹編の『英語教科書は<戦争>をどう教えてきたか』(研究社、2015)と共通です。
旧軍の幹部養成と現在の「グローバル人材育成」との間には、目的論上の差異はほとんどありません。
目的論=哲学なき語学教育は、ときに凶器=狂気となるのです。
☆
この夏休み中に、共著を含む3冊の本の原稿と校正を終わらせなければなりません。明日からも講演等でしばらく出張です。
猛暑も加わって、ときに気が滅入りそうにもなりましたが、こうして皆さんに励まされて、さらに仕事をして参りたいと思います。