希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

学生から見た教師像(須貝清一の場合)

学生は教師をよく見ている。

僕らが学生のことを見ている以上に、学生は僕らをよく見ている(この「よく見ている」は「良く見ている」とは限らない)。
漱石の「坊ちゃん」ではないが、見られたくないところまで見られている。

須貝清一という先生がいた。
1909(明治42)年に広島高等師範学校英語部を卒業し、広島中学校在勤中には基本語彙選定の先駆的な作品である『英語之基礎』(1915)や『語源本位英和辞典(単語記憶の鍵)』(1916)を同僚と刊行している。のちに母校・広島高等師範学校の教授となった。

僕は古本屋で初めて『英語之基礎』を目にしたとき、大正初期に、中学校の先生たちが、これほど徹底した語彙選定と分類をした本を公にしたことを知り、驚嘆した記憶がある。

この『英語之基礎』については、僕の呑み友だちの、いやちがった、英語教育史研究仲間の馬本勉さん(県立広島大)が素晴らしい研究を発表されているので、ご覧いただきたい。→馬本さんの『英語之基礎』研究

その後『語源本位英和辞典(単語記憶の鍵)』と見つけたときには、「すごすぎる!」と驚嘆した。
いつか機会があれば、この辞書も紹介したい。

さて、その須貝清一の人物像を知りたい思い、ずっと気になっていたところ、面白い記事を見つけた。

欧文社通信添削会の会員誌として1932(昭和7)年に創刊された『受験旬報』だ。
この雑誌はご存じないかもしれないが、1941(昭和16)年に受験総合雑誌蛍雪時代』になった雑誌と言えば、おわかりいただけるだろう。

こうした受験雑誌には実にさまざまな受験情報や勉強法などが載せられ、当時の生の声を聞くことのできる貴重な情報にあふれている。

その1937年11月中旬号に「広島高師受験生に与ふ」と題した合格者(先輩)から受験生へのアドバイス載っている。そこに須貝先生が出てくる。

須貝教授――この人には現在でも私達はいじめられている。しかしそれだけの実力はある。英語の問題中、骨のあるのに出会ったら、この人の出題と見ていい。この人の癖は直訳を好むことだ。また単語一字でもゆるがせにしないことだ。諸君は問題を顕微鏡的に眺めねばならぬ。文法的に縦横に分解し、一つの単語の意味、一つの節の訳し方にも心を遣わねばならぬ。日本文として筋の通っていることはもちろんである。点は辛い方だ。がしかし、それだけにまた出来ていれば点の出し惜しみをする人でもない。最後にこの人は文字をやかましく言われる。アテ字、ウソ字は大嫌い、文字のきたないのも嫌われる。諸君は充分その点を考慮してくれたまえ。

出題者としての癖まで知らせている点が面白い。
それにリアル。入試説明会での僕のスピーチよりも、よっぽど面白い。(^_^;)
それにしても、なんという情報公開だろう!

「単語一字でもゆるがせにしない」はずだ。
須貝は、おそらく日本で初めて(世界で初めてかも?)基本語彙を選定した本や辞書まで作った人物なのだから。

時代が戦時色を帯びるなか、受験生たちはこうした受験雑誌からあらゆる情報を集めながら、未来を夢みていた。
しかし、このあと、いったい何人が戦争で亡くなったことだろう。
上の手記を書いた学生が学ぶ広島高等師範学校(現・広島大学)も、原爆により壊滅的な被害を受けた。

この手記が書かれたのは1937年の日中全面戦争が始まった直後。

尖閣諸島をめぐる最近の緊張関係を思うとき、この「日中全面戦争」という言葉が数週間前とはまったく違った重みで響く。

良好な関係を取りもどすために、双方が冷静になろう。