希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

斎藤秀三郎の英語学習法(多読と精読と)

古い英語雑誌は面白い。
昔の人の英語学習の様子がリアルに伝わってくるからだ。

1924(大正13)年に受験英語主筆・湯山清)という雑誌が創刊された。
駿台予備校を設立した山崎寿春が1916年に創刊した同名の雑誌とは別のものだ。)

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創刊号では、正則英語学校校主の斎藤秀三郎が「語学学修について」を寄せている。
彼は自分をふり返り、受験生に次のようにアドバイスしている。

語学修得は第一に多読である。分からんでもよろしいから無茶苦茶に読むのである。元来人生は分からんことばかりではないか。それでも広く世を渡っているうちには処世の妙諦がだんだんと会得されてくる。語学もこれと同じである。広く読んでいるうちに自然と妙味が分かり、面白みが出て来て、しまいには愉快で愉快でたまらなくなるのだ。

自分の少年時代にはRobinson CrusoeやArabian Nightなど何回読んだかわからん。それからは手当たり次第に読んだ。なかんずくScott, Dickens, Thackerayのものは実によく読んだもので、この三人は自分の英語の先生だと言ってよいくらいである。

多読によって語学の興味が出て来たらば、次は精密な研究に取りかかるのである。行けば行くほど深くなり広くなるのが語学だ。語の意義を突きつめ、他語との結合を究め、その間の微妙な意味を探れば際限がない。進めば進むほど困難となり苦心を要するが、それだけまた愉快も多いのであって、自分はその苦心が愉快で愉快でたまらないのである。

斎藤秀三郎は「学校英文法」を確立した巨人だが、この記事では「第一に多読である」と言い切っている。
ただし、すでに基礎的な英語読解力を備えた受験生を対象にした呼びかけであることに注意が必要である。

その後の記述も、斎藤の英語観をうかがい知ることができて興味深い。

「行けば行くほど深くなり広くなるのが語学だ。語の意義を突きつめ、他語との結合を究め、その間の微妙な意味を探れば際限がない。」

これって、すごくわかる!

もっと書きたいが、おっと、今から附属中学に教育実習の指導に行ってこないといけない。
わっ!