古い英語雑誌は面白い。
昔の人の英語学習の様子がリアルに伝わってくるからだ。
昔の人の英語学習の様子がリアルに伝わってくるからだ。
語学修得は第一に多読である。分からんでもよろしいから無茶苦茶に読むのである。元来人生は分からんことばかりではないか。それでも広く世を渡っているうちには処世の妙諦がだんだんと会得されてくる。語学もこれと同じである。広く読んでいるうちに自然と妙味が分かり、面白みが出て来て、しまいには愉快で愉快でたまらなくなるのだ。
自分の少年時代にはRobinson CrusoeやArabian Nightなど何回読んだかわからん。それからは手当たり次第に読んだ。なかんずくScott, Dickens, Thackerayのものは実によく読んだもので、この三人は自分の英語の先生だと言ってよいくらいである。
多読によって語学の興味が出て来たらば、次は精密な研究に取りかかるのである。行けば行くほど深くなり広くなるのが語学だ。語の意義を突きつめ、他語との結合を究め、その間の微妙な意味を探れば際限がない。進めば進むほど困難となり苦心を要するが、それだけまた愉快も多いのであって、自分はその苦心が愉快で愉快でたまらないのである。
その後の記述も、斎藤の英語観をうかがい知ることができて興味深い。
「行けば行くほど深くなり広くなるのが語学だ。語の意義を突きつめ、他語との結合を究め、その間の微妙な意味を探れば際限がない。」
これって、すごくわかる!
もっと書きたいが、おっと、今から附属中学に教育実習の指導に行ってこないといけない。
わっ!
わっ!