希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『英語教育論争史』(講談社選書メチエ)を刊行

新著『英語教育論争史』(講談社選書メチエ・本体1850円)が、9月12日に発売されます。
明治の小学校英語教育論争から平成の英語帝国主義論争まで、100年以上に及ぶ6つの「真剣勝負」を通史的に書きました。
未来の英語教育を論じるには、過去の論争を踏まえるべきではないか。
そんな思いから執筆しました。
講談社からの執筆依頼は2015年でしたが、7年も待たせてしまって申し訳ありません。)
 

英語教育論争史については、膨大な資料を集めた川澄哲夫編『資料 日本英学史2 英語教育論争史』(大修館書店、1978)や、鳥飼玖美子著『英語教育論争から考える』(みすず書房、2014)をはじめ、優れた研究があります。
なのに、このたび新たに書き下ろした理由は、第一に、小学校英語の教科化やオーラル・コミュニケーション重視策などの英語教育政策を見るにつけ、明治以来の論争で何度も批判されてきた問題点から少しも学んでいないからです。
これでは、同じ失敗を繰り返すことになるのではないでしょうか。

第二に、本書は新資料を豊富に交えながら、1880年代から100年以上に及ぶ主要な英語教育論争を通史的・包括的に扱いました。

これまでの定説を書き換える新たな知見や、再評価・再解釈を迫る諸問題も盛り込んでいます。たとえば、以下のことです。

(1)近年の小学校英語教育をめぐる論点が、すでに明治中期には出つくしていたこと。

(2)大正期(1910年代)に始まったとされる中等学校英語科縮廃論が、すでに明治中期(1890年)に開始されていたこと。

(3)英語科廃止論の代表格とされた藤村作をはじめ、様々な論者の主張が先人の二番煎じに過ぎなかったこと。

(4)1974の「平泉試案」よりも1978年の「平泉新提案」のほうが、後の英語教育政策の方向を提示していたこと。

(5)1990年代に本格化した言語帝国主義論が、日本では1930年代から主張されていたこと。

などなどです。

論争は、論文などを通じての人間と人間のぶつかり合いです。

それぞれの理論だけでなく、しばしば感情や人間性がむき出しになします。

そのため、本書では論争を彩った代表的な人々に登場してもらい、その人物像を描くことにしました。

戦前における英語教育の最高指導者で東京高等師範学校(戦後は東京教育大学、廃学後は筑波大学)英語科主任教授の岡倉由三郎、その弟子の福原麟太郎、英語教師でもあった夏目漱石エスペラントの導入を唱えた国家主義思想家の北一輝、英語科廃止論を唱えた東京帝国大学国文科教授の藤村作、戦後英語教育の義務化を疑問視した評論家の加藤周一、1970年代に大論争を起こした平泉渉渡部昇一、英語帝国主義論争を展開した中村敬と筑紫哲也松本道弘などです。

英語教育論争を読み解くと、日本人と英語との関係の根っ子の部分が見えてきます。
何より、今後の英語教育のあり方を考える上でたくさんのヒントが得られます。
ご批正をいただければ幸いです。