希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

心に残る本はハウツーものの対極(研究社と私)

英語教師で研究社のお世話にならない人は、まずいないのではないでしょうか。
同社は1907(明治40)年の創業ですから、1世紀以上にわたって日本の英語教育界に貢献してきました。
今日はその研究社の話。

ようやく「夏休み」が来たかなと思って、愛用しているMacBook Proを最新バージョンに更新することにしました。
自動とはいえ、丸1日かかって移し替えたファイルの点検をしていたら、懐かしい原稿が出てきました。

「研究社と私」というタイトルで依頼され、社史『研究社百年の歩み』(研究社、2007)に寄稿したものです。
掲載時には編集部から「心に残る本はハウツーものの対極」というタイトルが付けられていました。

『研究社百年の歩み』は日本の英語教育史研究には欠かせない本ですが、あまり目にすることはないと思いますので、ここに再録させていただきます。

心に残る本はハウツーものの対極(研究社と私)

正規軍に挑みかかるパルチザン部隊のような痛快な雑誌。これが『現代英語教育』の第一印象だった。
それまで研究社といえば「英語界の三越デパート」といった敷居の高いイメージだったが、1990年代初めに手にしたこの雑誌はちがった。

特集「広域採択制を注視せよ!」では、元教科書販売員のマル秘発言を、戦前の左翼雑誌のような伏せ字(××××)入りで載せたり(1992年7月号)、カリスマ予備校講師だった伊藤和夫の追悼特集を組んだり(97年5月号)と、勇猛果敢なパルチザンぶりを発揮してくれた。

私の最初の寄稿は、1994年2月号の「日本の英語教科書は韓国・朝鮮をどう扱ってきたか」で、「英語教育と韓国・朝鮮」などという特集の大胆さに感激し、一気に書いた。

もっと強烈だったのは、阪神大震災の直後に出された1995年3月号の特集「『英語帝国主義』を考える」だ。これには「英語帝国主義図像学を寄稿したが、忘れられない思い出がある。復興ボランティアとして神戸に行っていた教え子が、地元紙を届けてくれた。見ると、同号の特集が写真入りで紹介されていたのだ。

それまでは内心、「英語教師向けの雑誌に<英語帝国主義>はキツすぎるだろう」と思っていたが、反響の大きさに驚くとともに、タブーに挑戦し続ける若き津田正編集長の心意気とセンスに惚れ込んでしまった。

こうした縁で、『現代英語教育』には1998年4月号から12回にわたって「英語教科書の図像学を連載した。挿絵を手がかりに明治以降の英語教科書を読み解くという独創的な企画だった。〔後に『日本人は英語をどう学んできたか』(2008)に収録〕

とはいえ、毎号のネタ探しはたいへんで、全国の古本屋から英語教科書を買い漁った。原稿料の数倍は投資したと思う。
これが報われた。集めた教科書を足がかりに、約5,700冊を網羅する「明治以降外国語教科書データベース」を作り始めたところ、科研費が当たり、おまけに2003年度日本英学史学会奨励賞までいただいたのである。

すぐれた編集者は執筆者のコーチである。研究社編集部からのゲラには、いつも詳細なコメントが添えられ、その鋭さと博識に助けられた。

電話で3時間以上話したこともあった。受話器の向こうから日本英語界の裏情報が次々に飛び出してくるから、面白くてやめられない。
午前零時をまわり、終電を口実に電話を切ったのだが、本当はトイレの我慢が限界にきていた。

あるとき『現代英語教育』編集部から奇妙な執筆依頼が来た。1999年3月号の特集は「21世紀英語教育への遺言」だから、お前も遺言を書けという。「オレはまだ死なないぞ」と思ったが、まさか雑誌休刊の「遺言」だったとは。

書籍の思い出もつきない。真っ先に浮かぶのは『新英語教育講座』の第6巻(1949)に載った福原麟太郎の「英語辞書の話」である。
大学院の指導教官に一読を勧められたのだが、P.O.D ( Pocket Oxford Dictionary 初版1924) をはじめとする英語辞書の魅力を、これほど熱く語った文章を他に知らない。

福原は「私は、日本の或いは世界中の、誰よりも、このP.O.Dを度々ひいているだろうと思う。全く良い辞書である」と書いている。
まねして戦前版のP.O.Dを買ってきたが、なるほど味がある。

福原が紹介している他の辞書も古本屋をまわって買いそろえた。辞書とは、かくも妖しい魅力を放つものかと感じ入った。

昨今の電子辞書は確かに便利だが、Fowler兄弟による初期のP.O.Dや、学習英和の金字塔である岩崎民平の『簡約英和辞典』(研究社、初版1941)のような名品からは職人の息づかいが伝わってくる。時がたっても古伊万里のような味わいがある。

英学史・英語教育史を専攻するようになると、100年に及ぶ研究社の出版物がみな宝の山に見えてきた。

なによりも重宝なのが『英語青年』巻末の「片々録」である。個人の転居先から結婚相手まで書いてあり、明治以降の英語界の動向がビデオのように記録されている。主要なものだけでも編集して本にならないか。

なお、『英語青年』の編集長を40年務めた喜安進太郎(1876-1955)は、晩年に英学界の動向や思い出を10年連載した。それをまとめたのが『湖畔通信・鵠沼通信』(1972)で、学界の生き字引による第一級の英学史文献であり、読み物としてもすこぶる面白い。

研究社から出た英学史の座右の書は、ほかに3つある。まずは竹村覚『日本英学発達史』(1933)。
古書店でアンカット版を見つけたから、ペーパーナイフで切り進みながら味読した。
竹村の情熱ほとばしる文章がいい。とりわけ、薄幸のシェークスピア学者・河島敬蔵の人と業績を描いた部分は、何度読み返しても胸が熱くなる。
刊行当時の竹村は30歳の中学教師。その原稿を菊判372ページの上製本で刊行した研究社も偉いし、岡倉賞を授与した学界も偉かった。

勝俣銓吉郎『日本英学小史』(1936)は51ページの小冊ながら、巨匠による逸品である。
同書を収めた研究社『英語教育叢書』(全31巻、1935-37)は、この種の叢書の最初ながら、水準の高さに圧倒される。
その後の英語教育界はどこまで進歩したのだろうか。

そうした疑念を抱きながら全4巻の『日本の英学100年』(1968-69)をひもとくと、先人たちの偉業にエリを正したくなる。
明治以降の英学の歩みを集約したこの大著は、大学紛争のまっただ中で刊行された。並大抵の苦労ではなかっただろう。日本の英語界をリードしてきた研究社の意地と誇りが伝わってくる。

こうして振り返ると、心に残る本はみなハウツーものの対極にある。すぐ役に立つ本は、すぐ役に立たなくなる。研究社100年の歴史は、そう教えてくれる。

(追記)
以上の文章を書いたのが2007年でした。
その後、研究社のご厚意で、以下の本を刊行させてもらいました。感謝です。

『日本人は英語をどう学んできたか:英語教育の社会文化史』2008年
受験英語と日本人:入試問題と参考書からみる英語学習史』2011年