希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本英語教育史研究の歩みと展望(3)

日本英語教育史研究の歩みと展望(3)

3 1980年代以降の英語教育史研究

 英語教育史研究が著しく活性化したのは1980年代以降である。その背景には、1984年に出来成訓を初代会長として日本英語教育史研究会が誕生したことがある(1987年から学会に発展)。こうして英語教育史の専門誌『日本英語教育史研究』(年刊)が1986年に創刊され、良質の論文が数多く掲載されている(細目は同学会ホームページの「『日本英語教育史研究』所収論考一覧」参照)。

 1980年代以降の研究成果は膨大な量に達するため、5項目に分類して研究動向を述べてみたい。今回はその(1)。

(1)全般的な研究

1980年代の最初の通史的な研究業績としては、伊村元道・若林俊輔『英語教育の歩みー変遷と明日への提言』(中教出版、1980)が挙げられる。昭和期に関しては、若林俊輔編『昭和50年の英語教育』(大修館書店、1980)や、中村敬ほか共編『戦後の英語教育』三省堂1984新訂版)が利用価値の高い文献となっている。

新制中学用教科書Jack and BettyNew Prince Readersの変遷を中心に据えた稲村松『昭和英語教育史―英語教科書はどう変わったか』開隆堂出版、1986)には、稲村の思いと思い込みが共存している。

この他、明治期の「英語名人」世代を中心に、文化史的な視点から英語と日本人との関わりを考察した太田雄三『英語と日本人』(TBSブリタニカ、1981)、戦前から英学史研究に取り組んできた重久篤太郎の著作集明治文化と西洋人』思文閣出版、1987)、幕末から明治初期までの教授法の変遷を実証的に解明した茂住實男の博士論文『洋語教授法史研究』学文社、1989)などの重厚な成果がある。

書誌的な研究では、1970年代からの惣郷正明による一連の業績が光る。『辞書風物誌』(朝日新聞社、1973)、『英語学び事始め』(朝日イブニングニュース社、1983;1990に改訂され『日本英学のあけぼの:幕末・明治の英語学』として創拓社から刊行)など数多い。惣郷は『アサヒグラフ』の編集長だっただけあって、いずれの本にも自身が収集したレアな文献資料の写真を豊富に配し、読みやすく啓蒙的な筆致である。

英語教育の個別分野の歴史に関しては、垣田直巳監修「英語教育学モノグラフ・シリーズ」(大修館書店、1983―86)の中に、竹中龍範「わが国における早期英語教育の歴史」、同「英語授業の起源と変遷」、松村幹男・萬谷隆一「英語学力評価の史的変遷」、松村幹男「リーディング教授・学習の史的展開」、森山善美・峯野光善「英語科における授業研究の歴史」などの論文が収録されている。

1990年代の通史的な研究では、英語科教育実践講座刊行会編「ECOLA 英語科教育実践講座」第17巻の『英語教育の歴史と展望』(ニチブン、1992)があり、堀口俊一出来成訓、伊村元道、羽鳥博愛が執筆している。

1990年代の特徴は、日本英語教育史の研究水準を一気に高める大著が相次いで刊行されたことである。まず、日本英語教育史学会の会長だった出来成訓『日本英語教育史考』東京法令出版、1994)を刊行した。日本英語教育史の研究方法と研究領域を初めて体系的に提起し、通時的な考察に加えて、教科書、雑誌、主要人物などに関する積年の研究を集約した大著で、その後の研究に決定的な影響を与えた。

次いで、日本英学史学会の会長を務めた高梨健吉が自らの英学史・英語教育史研究を集大成した『日本英学史考』東京法令出版、1996)を刊行した。四百年に及ぶ日本英学史の全過程を通覧しつつ、人物論、英語教育論、関連書紹介、研究動向、英学修業の回想まで包括されており、高度な研究書であると同時に良質の啓蒙書にもなっている。研究方法論の記述があれば、なおありがたかった。

続いて、広島大学で英語教育史を講じてきた松村幹男の博士論文が『明治期英語教育研究』(辞游社、1997)として刊行され、明治期英語教育史の研究水準を飛躍的に高めた。松村は英語教育史に関する研究成果を精力的に発表してきたが、明治期に関する研究で特に注目されるのは、「明治20年代前半における英語教授・学習史」『広島大学教育学部紀要・第2部』第29号(1980)に始まり、1994年まで9回にわたって掲載された英語教授・学習史の研究である(2005年に『明治期英語教授学習編年史』として自費刊行)。
道府県の教育史資料、学校沿革史、教師・卒業生の回想記録などの膨大な資料を博捜し、資料をして語らしめる手法で、明治期における英語教育の実相を教授と学習の両面から編年体で活写しており、明治期英語教育史研究の必読文献となっている。

2000年代に入って最初に注目すべき業績は、日本英語教育史学会の第2代会長を務めた伊村元道の『日本の英語教育200年』(大修館書店、2003)である。各章が英文法、発音、教授法、教科書、受験英語小学校英語といったテーマ別の通史になっているため、各分野の今日的な問題点に関して、読者が能動的に過去と対話し、自力で解決の糸口を見つけ出せるように叙述されている。「歴史とは過去と現在との対話である」と述べたE・H・カーの言葉を地で行く叙述展開が見事である。

2008年は、1808年の英国船フェートン号の長崎港侵入事件を契機として始まった日本の英学・英語教育の200年目にあたる。その記念すべき年に、日本英学史学会と日本英語教育史学会は、英学の発祥の地・長崎で「日本の英学200年記念合同大会」を開催した。

それに呼応して、日本英学史学会会長の庭野吉弘は『日本英学史叙説―英語の受容から教育へ』(研究社、2008)を刊行した。同書は幕末期の英学から筆を起こし、明治人と英語との出会い、様々な英語教授法や人物誌、英語教育界を一世紀にわたって支えてきた研究社の出版活動に関する論考を含む大著である。
同年には高橋俊昭の『英学の時代―その点景』(学術出版会)、井田好治『日本英学史論選集』(私家版)も刊行され、記念すべき年の大きな収穫となった。

さて、1980年代頃までの英語教育史研究は、帝国大学へと通じる「正系」の旧制中学校が主な対象だったが、1990年代頃からは、いわゆる「傍系」の学校で実施された英語教育の実態にも目が向けられるようになった。

竹中龍範はすでに1983年に小学校英語教育史に関する先駆的な論考(前述)を発表していたが、それ以降も「明治後期における公立小学校の英語教育―明石高等小学校の場合に関して」『英学史研究』第31号(1998)、「小学校の英語―商業科附設の時代」『日本英語教育史研究』第18号(2003)、「京都府師範学校附属小学校における英語教育」同誌第22号(2007)などの優れた成果を発表している。さらに竹中は、高等女学校に関しても「昭和期高等女学校英語教育の実相(その1)―昭和改元期より太平洋戦争開戦まで」『言語表現研究』第21号(2005)および「昭和期高等女学校英語教育の実相(その2)―太平洋戦争中のその展開」同誌22号(2006)などの精緻な研究成果を発表している。竹中の他の優れた論考とともに、ぜひ一本にまとめてほしい。

こうした研究動向の下で、日本の学校における英語教育史の全体像を解明すべく、「傍系」(職業系)の学校群である実業学校、師範学校、高等小学校、実業補習学校・青年学校、陸海軍系学校における英語科教育の歴史に焦点を当てた研究書が刊行された。江利川春雄の『近代日本の英語科教育史―職業系諸学校による英語教育の大衆化過程』東信堂、2006)である。

ただし、竹中龍範の書評(『日本教育史研究』第27号、2007)が指摘するように、典型的な「傍系」学校である英語系各種学校や通信教育機関などは含まれておらず、残された課題となった。そのため、それらについては江利川の『受験英語と日本人』(研究社、2011)に盛り込まれることになった。

江利川はまた『日本人は英語をどう学んできたかー英語教育の社会文化史』(研究社、2008)を刊行し、教科書の植民地主義や「墨ぬり」などの英語教育史の「陰の部分」をも描くとともに、小学校英語などの「先人たちの豊かな経験から、現在のさまざまな問題を解決するためのヒントを得よう」(はしがき)と提起している。

そうした現代的な問題意識に立つ英語教育の通史的研究としては、斎藤兆史『日本人と英語―もうひとつの英語百年史』(研究社、2007)がある。斎藤は日本人の英語受容史を踏まえた知見から、今日文部科学省が唱導する会話重視のコミュニカティブ・アプローチが「日本の英語教育史上最大の薬害をもたらした」(171頁)と厳しく批判している。
 
斎藤はこのほかに『英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語』(中公新書,2000),『英語襲来と日本人―えげれす語事始』 (講談社選書メチエ,2001),『日本人に一番合った英語学習法―先人たちに学ぶ「四〇〇年の知恵」』(祥伝社,2003)などの啓蒙的な著作を精力的に発表している。
英語教育史の魅力と知見を,広汎な読者層に読みやすい形で広めた意義は大きい。

英語教育をめぐる政策的混乱と深刻な英語力低下が進む下で、伊村、江利川、斎藤などのアプローチに示されているように、現代の英語教育問題の根源を歴史にさかのぼって考察しようという姿勢が顕著になってきたことが、2000年代における英語教育史研究の一つの特徴だと言えよう。

(つづく)