希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本英語教育史研究の歩みと展望(5)

日本英語教育史研究の歩みと展望(5)

3 1980年代以降の英語教育史研究

(4)英語学史・辞書史の研究

 英語学史の領域では、田島松二編著の1,200頁を超す大作『わが国における英語学研究文献書誌 1900―1996』(南雲堂、1998)が瞠目すべき仕事であった。田島はこれをもとに『わが国の英語学100年―回顧と展望』(南雲堂、2001)を刊行し、英語教育史研究にも大いに寄与する内容となっている。

 学習英文法史の研究では、伊藤裕道が「文法事項の史的検討(その1)― Sense Subject及びthe way how」『日本英語教育史研究』第12号(1998)、「刊行100年斎藤秀三郎Practical English Grammar(1898-99)管見」同誌第15号(2000)、「『仮定法』の英文法教育史」同誌17号(2002)など一連の優れた成果を発表してきた。それだけに、2005年の伊藤の早すぎる逝去(享年52歳)は学界の大きな損失だった。
しかし、幸いにも学校英文法史の分野では斎藤浩一東京大学大学院生)が精力的に研究を継続している。

 辞書史研究の分野では、早川勇が日本における英語辞書史研究の水準を飛躍的に高めた。早川は、『辞書編纂のダイナミズム―ジョンソン、ウェブスターと日本』(辞游社、2001)と、英文の大著Methods of Plagiarism : A History of English-Japanese Lexicography.(辞游社、2001)によって、日本における英語辞典の編纂過程と特徴を綿密に考証した。また、『日本の英語辞書と編纂者』春風社、2006)では、20年以上の歳月をかけて作成した「英語辞書年表」に幕末から1945年までの英語辞書の書誌情報を収め、辞書編纂に関わった人物の経歴もデータベース化している。レファレンスブックとしてもきわめて重宝である。

 小島義郎の『英語辞書の変遷―英・米・日本を併せ見て』(研究社、1999)は、15世紀から1961年までの英語辞書の変遷史を、社会文化史的な背景や個性豊かな編纂者の姿も交えて、豊富な図版とともに考察している。比較辞書史的な視点から、日本の英和・和英辞典への英米系辞書の影響を考察している点もユニークである。

 また、堀孝彦・遠藤智夫『《英和対訳袖珍辞書》の遍歴―目で見る現存初版15本』(辞游社、1999)は、日本人が執筆・刊行した最初の英和辞書(1862)の残存15本を調査したユニークな研究書である。
なお、2007年にはこの『英和対訳袖珍辞書』の原稿の一部が奇跡的に発見され、これをもとに名雲純一編輯『英和對譯袖珍辭書原稿影印―文久2年江戸開板慶應2年江戸再版』(名雲書店、2007)がカラー版で刊行された。英和辞書草創期の研究が大きく前進することは間違いない。

(5)基本資料集と復刻版の刊行

 以上のような英語教育史研究の発展を下支えしたのが、1980ー90年代を中心に相次いで復刻・刊行された資料群である。

 その筆頭に挙げるべきは、1980年に刊行された大村喜吉・高梨健吉・出来成訓編『英語教育史資料』東京法令出版、全5巻)である。第1巻「英語教育課程の変遷」、第2巻「英語教育理論・実践・論争史」、第3巻「英語教科書の変遷」、第4巻「英語辞書・雑誌史ほか」では簡潔な解説を付して、英語教育史の重要文献が大量に収められている。第5巻は「英語教育事典・年表」で、英語教育史研究のレファレンスブックとして欠かせない。ただし、第1巻と2巻の大半の資料が中学校と高等女学校に関するものであり、日本英語教育史の全貌を解明するためには、高等小学校、実業学校などの「傍系」諸学校における英語教育資料の刊行が望まれる。

 川澄哲夫編『資料日本英学史』(大修館書店、全3巻、1978ー1998)は、完結までに20年を要した労作で、『英語教育論争史』(1978)、『英学ことはじめ』(1988)、『文明開化と英学』(1998)からなる。川澄が独力で収集した江戸期から戦後までの主要な英学・英語教育資料を網羅したもので、川澄による資料解説の学術的価値も高い。

 教科教育史の研究には教科書の研究が欠かせないが、膨大な教科書を復刻した「日本教科書大系」全44巻(講談社、1961―78)には英語教科書が含まれていなかった。そうした制約を克服するべく刊行されたのが、高梨健吉・出来成訓監修『英語教科書名著選集』全29巻(大空社、1992―93)で、別巻の『英語教科書の歴史と解題』は当時の研究水準を示している。ここでも「傍系」学校用の教科書が含まれていない点や、乱丁本を復刻した巻があるなどの不備は惜しまれるが、明治期から敗戦直後までの得難い英語教科書を大量に復刻した意義は大きく、その後の教科書史研究に大きく貢献した。

 英語教育の時代相を解明する上で貴重なのが英語雑誌の研究である。この分野ではすでに1953年に藤井啓一が先駆的な業績「日本英語雑誌史」帝塚山学院短期大学研究年報』第1号(1982年に名著普及会が補遺を含めて復刻)があり、明治以降の英語雑誌に関する書誌情報を得ることができる。
しかし、個々の雑誌の目次内容まで知ることはできなかった。これをカバーする画期的な文献が出来成訓監修『英語関係雑誌目次総覧』全20巻(大空社、1992―94)で、これによって資料へのアクセスが格段に容易になった。

また、1980―90年代には明治以降の英語雑誌等の復刻も相次ぎ、明治後半期の『日本英学新誌』全22巻雄松堂出版、1983)、日本最初の英語教育専門雑誌(1906―17)だった『英語教授』全10巻(名著普及会、1985)、パーマー率いる英語教授研究所が1923―41に刊行したThe Bulletin of the Institute for Research in English Teaching(名著普及会、1985)、日本英語教育界の巨人・斎藤秀三郎の監修で大正期に発行された『正則英語学校講義録』全6巻(大空社、1991)、英語教育の一大拠点だった東京文理科大学の英語教育研究会が1932―47年に刊行した『英語の研究と教授』全6巻(本の友社、1994)、明治後期から大正期の代表的な英語学校だった国民英学会の刊行物を集めたマイクロフィルム版『英学資料集成―国民英学会と中外英字新聞』全27リール(ナダ書房、1994)、正則英語学校関係者が1908―1917年に刊行した『英語の日本』全11巻(本の友社、1998)、明治期から戦後までの『英語青年』全100巻(研究社、1978―79)などが復刻され、英語教育史研究の巨大な情報源となった。

 この他の資料復刻としては、幕末・明治初期の英語辞書や教科書などを集めたマイクロフィルム版「初期日本英学資料集成」全34リール(雄松堂フィルム出版、1976)がある。
紙媒体では、ゆまに書房「近代日本英学資料」全9巻(1995)で9冊の辞書を、「近代英学特殊辞書集成」全3巻(1998)で4冊を復刻している。

 復刻版『カムカム英語』(名著普及会、1986)は、敗戦直後の平川唯一による『NHKラジオテキスト英語会話』(1946ー51)の教材加え、番組の録音カセットテープが添えられている。
『パーマー選集』全10巻(本の友社、1995)も貴重な仕事で、1999年には英文解説を加えた「国際版」も出た。

 なお、英語教授法関係の資料としては、出来成訓監修「復刻版 英語教授法基本文献」全4巻冬至書房、2009)が出た。内容は、重野建造『英語教授法改良案』(1896)、佐藤顕理『英語研究法』(1902)、岸本能武太『中学教育に於ける英語科』(1902)、高橋五郎『最新英語教習法』(1903)で、続編が期待される。

 言うまでもなく、資料は使われてこそ生命を吹き込まれる。しかし、以上の資料を十分に使いこなした研究は決して多くはない。良質の食材はあっても、調理人が少ないのであれば、あまりに惜しいことである。

(つづく)