希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

難題山積の小学校外国語活動 ―増える英語ぎらい、疲弊する教師たち(下)

大型台風の影響で、紀伊半島をはじめ各地で甚大な被害が発生しました。
被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。

幸い、私の住む和歌山北部は大きな被害もなく、私の周囲もみな元気にやっております。

さて、「難題山積の小学校外国語活動 ―増える英語ぎらい、疲弊する教師たち」の後半をお送りします。「互助だより」の元原稿にかなり加筆しました。


3. 教員の負担増と疲弊

必修化に先立つベネッセの調査では、小学校の学級担任の68%が「外国語活動に自信がない」、62%が「英語指導に負担を感じる」と答え、「英語専門教員が教えるべき」との回答は73%に達している。

もっとも悩んでいる問題点は「教材の開発や準備のための時間不足」(58%)で、次いで「外国語指導助手(ALT)などとの打ち合わせの時間不足」(40%)、「指導教員の英語力」(34%)などが多かった(読売新聞2011年2月15日)。
多忙化する職場で、外国語活動は教員にとって重い追加負担になっているのである。

1997年から小学校に英語教育を導入した韓国では、担当教員に120時間以上の研修を課すなどの実施環境を整えた。台湾ではもっと厳しい。

しかし、日本では各校1人の「中核教員」だけに3日間(15時間)ほど実施しただけだ。その参加者が各校で研修内容を伝達し、あとは自分で研修しろという。

入門期の英語教育は音声指導などの面で高度な能力を要求される。
文科省は一方で教員の資質を高めると称して免許更新制度を導入しながら、他方でまともな研修も保障せずに英語を教えろと言う。

保護者の眼差しが厳しくなるのも当然だ。
(株)エドベックの調査では、保護者の54%が「日本人教師の指導レベルに不安」を抱いている。
これでは、新たな教員バッシングを誘発しかねない。

4. 「教師学習者モデル論」の欺瞞

本格的な研修も保障できないまま必修化を決めてしまったあげくに、文科省が後知恵で打ち出してきたのが「教師学習者モデル論」だ。
「小学校の教員は英語を上手に教えるのではなく、英語を積極的に学ぼうとするモデルになってほしい」という愚論である。

それならば、なんのために教員免許法があるのか。教員の資質向上を図ると称して、なんのために教員免許更新制度を強行したのか。

考えてみてほしい。この暴論は、あなたが通っている自動車教習所の教官から、路上でいきなり「僕は実はクルマの免許は持ってないんだ。でも、積極的に免許を取ろうとする態度を示すから、一緒にがんばろうね」と言われるのと同じだ。

「教師学習者モデル論」は、高度な専門性を要する教員という職業を愚弄するのであり、教員免許法の趣旨に反する違法行為を教唆するものである。

ただ、唯一の積極面があるとすれば、教員免許更新制に意味も根拠もないことを文科省当局者が自ら語っているという点だけだろう。

5. 予算カットで『英語ノート』は廃止

約9割の教員が外国語活動の主たる教材としている文部科学省発行の『英語ノート』は、事業仕分けの結果、必修化後わずか1年で廃止される。
必死に授業準備をしても、来年から使えない。
2012年度からの教材は具体的に決まっていない。

文部科学省予算に占める英語教育予算は、2006~09年度は6~10億円ほどあったが、2010年度以降は2億円程度にまで落ち込んだ(図は菅正隆『日本人の英語力』より。一部改変。)。
1校平均7千円程度で、どんな準備ができるのか。

しかも、中教審答申の段階では担任とALT(外国人指導助手)などとの「ティーム・ティーチングを基本とすべき」となっていたにもかかわらず、担任中心に変更された。
ALTを雇う予算をケチったためである。

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小学校外国語活動の必修化だけは決めておきながら、政策を支える予算措置はとらない。
だから専科教員の加配も、本格的な教員研修も実施できない。

そうしたツケを教員の自助努力に委ねるというのである。
まるで補給もなしに敵陣攻撃を命じたガダルカナル作戦当時の参謀たちと同じ無責任さではないか。
教材や教員などの条件整備を行えないのであれば、外国語活動の必修化は撤回すべきであろう。

当面の策としては3点を提案したい。

(1)ALTや専科教員の加配、英語担当者への本格的な研修を保障させよう。

(2)授業の大半を日本語で進めてもよいから、ことばの面白さと奥深さに気づかせる場にしよう。

(3)無理な教え込みが英語嫌いを作りだしてしまうから、教師自身が楽しめて、ストレスをため込まない範囲の指導で英語嫌いを最小限に抑えよう。

6. 懲りない「英語村」の住民たち

東京電力福島第一原発の深刻な事故は、「原子力ムラ」と呼ばれる政界・官界・財界・学界・報道界の利権、癒着、腐敗を誰の目にも明らかにした。

正確なデータを示さない。希望的観測と楽観論だけを振りまく。行政も専門家も現状追認にまわる。
そうして国民をだまし、現場で働く人々を被曝させ、子どもたちを危険にさらしている。

それと同じ構図が、「英語ムラ」にもある。

現状では、外国語活動を「教科」に昇格させることなどありえない。

外国語活動の必修化をめぐっては中教審でも賛否が分かれ、「週2時間の教科」ではなく、「週1時間の領域」にとどまった。
成績もつけない中途半端な状態だ。

その意味で、次回の学習指導要領までは試行期間にすぎない。
この間に、外国語活動の問題点について、内容の大幅改編または廃止を視野に入れ、学校現場から大いに声を上げていこう。