希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

30年ぶりの大学同窓会

わが青春の大阪市立大学経済学部。クラスはE1A。

当時、マルクス経済学のメッカとして知られていたこの大学(学部)に憧れて、埼玉生まれの僕が入学したのが1977(昭和52)年。

そのときのクラスメイトの岡田君から突然メールが届いたのが今年の夏。
日経新聞の文化欄で見たぞ」
とのこと。
僕の受験英語研究のことを書いた記事だ。
悪いことはできない。

その岡田君から、「11月3日に大阪市大でホームカミングデーをやるから来いよ」とのお誘い。
クラスメートの大海君や石本君にも声を掛けているという。

大学を出てから30年。
JRの電車からは何度も見たのに、卒業以来一度もキャンパスに行ったことはなかった。
同窓会にも入っていない。

が、せっかくのお誘い。
久しぶりの母校に行ってみようという気になった。
前日は家に泊まりに来た学生たちと午前2時過ぎまで飲んで、ギターを弾いて騒いでいたいから、二日酔いぎみ。

JR杉本町駅を降りて、30年ぶりの大学キャンパスへ。
なんだか、小ぎれいになっている。
高層ビルもできている。

「市大名物」だった政治的な立て看板やステッカーがない。
が、なつかしい時計台の1号館はそのままだった。

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教養部(?)では、大学祭「銀杏祭」(ぎんなんさい)をやっていた。
たくさんの模擬店、ロックコンサート・・・
昔と変わらない。

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足は自然にサークルボックスの方に向いた。
7年間の大学生活の9割はサークルボックスで過ごしたのだから。

驚いた!
あのボロい通称「鶏小屋」ボックスもそのまま。
僕らがたむろしていた、もっと古いサークルボックスもそのまま(↓)。
胸がドキドキした。

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30年前のキャンパス。
いろんなことがあった。
ありすぎるほど。

あれほど林立していた左派系のサークルは壊滅し、哲学の研究会ボックスは「漫画研」になっていた。

でも、3つ目のサークルボックスには、見覚えのあるステッカーがリアルに残っていた。
「宇宙進化論なんて面白そうだなあ」と思った記憶がある。

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正門付近で、当時のサークルの先輩にばったり会った。
「おー、30年ぶり!」
「おー、すぐわかったよ!」

かくして、クラスメイトの待つ集合場所へ。

不思議な空間だった。
30年の時間が隔てていたはずなのに、「おれ」「おまえ」で二十歳の頃のような会話。
30年間凍結されていた記憶が、自然解凍で出てくる。

「酒飲み競争で意識を失い、気づいたら病院のベッドだったよ」
「クラス討論と称して英語の時間をことごとく潰していたお前が英語教師とはヘンだ」
「実はお前が嫌いだったけど、今なら一緒に飲める」

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  前列左より:江利川、岡田   後列左より:石黒、石本、大海
  (生協食堂のホームカミングデー懇親会会場で)

杉本町駅前の「いわし亭」で二次会。
「こんな店、知らないな」と一同。
でも、大学に7年いた僕は、この店ができた頃を知っている。

止めどない会話、笑い。

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家族の話、職場の話。
原発は止めんとあかんやろ」
「橋下を大阪市長にしたら市大は潰されるぞ」
「まさか娘の大学の職員とはな」

いくら話しても話したりないが、終電の時間。

「また集まろうな!」
「おー、集まろうや!」

家に戻ったら、石黒君から大学入学時のクラス写真が届いていた。

これから一人ずつ名前を確認していこう。

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