わが青春の大阪市立大学経済学部。クラスはE1A。
当時、マルクス経済学のメッカとして知られていたこの大学(学部)に憧れて、埼玉生まれの僕が入学したのが1977(昭和52)年。
大学を出てから30年。
JRの電車からは何度も見たのに、卒業以来一度もキャンパスに行ったことはなかった。
同窓会にも入っていない。
JRの電車からは何度も見たのに、卒業以来一度もキャンパスに行ったことはなかった。
同窓会にも入っていない。
が、せっかくのお誘い。
久しぶりの母校に行ってみようという気になった。
前日は家に泊まりに来た学生たちと午前2時過ぎまで飲んで、ギターを弾いて騒いでいたいから、二日酔いぎみ。
久しぶりの母校に行ってみようという気になった。
前日は家に泊まりに来た学生たちと午前2時過ぎまで飲んで、ギターを弾いて騒いでいたいから、二日酔いぎみ。
「市大名物」だった政治的な立て看板やステッカーがない。
が、なつかしい時計台の1号館はそのままだった。
が、なつかしい時計台の1号館はそのままだった。
教養部(?)では、大学祭「銀杏祭」(ぎんなんさい)をやっていた。
たくさんの模擬店、ロックコンサート・・・
昔と変わらない。
30年前のキャンパス。
いろんなことがあった。
ありすぎるほど。
あれほど林立していた左派系のサークルは壊滅し、哲学の研究会ボックスは「漫画研」になっていた。
正門付近で、当時のサークルの先輩にばったり会った。
「おー、30年ぶり!」
「おー、すぐわかったよ!」
かくして、クラスメイトの待つ集合場所へ。
不思議な空間だった。
30年の時間が隔てていたはずなのに、「おれ」「おまえ」で二十歳の頃のような会話。
30年間凍結されていた記憶が、自然解凍で出てくる。
30年の時間が隔てていたはずなのに、「おれ」「おまえ」で二十歳の頃のような会話。
30年間凍結されていた記憶が、自然解凍で出てくる。
「酒飲み競争で意識を失い、気づいたら病院のベッドだったよ」
「クラス討論と称して英語の時間をことごとく潰していたお前が英語教師とはヘンだ」
「実はお前が嫌いだったけど、今なら一緒に飲める」
「クラス討論と称して英語の時間をことごとく潰していたお前が英語教師とはヘンだ」
「実はお前が嫌いだったけど、今なら一緒に飲める」
前列左より:江利川、岡田 後列左より:石黒、石本、大海
(生協食堂のホームカミングデー懇親会会場で)
止めどない会話、笑い。
いくら話しても話したりないが、終電の時間。
「また集まろうな!」
「おー、集まろうや!」
「おー、集まろうや!」
家に戻ったら、石黒君から大学入学時のクラス写真が届いていた。
これから一人ずつ名前を確認していこう。