希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本人と英語の出会いをたどる旅(1)

もうじき夏休みも終わり,とため息をついている人も多いのではないでしょうか。

この夏,旅行もしたい,本も読みたいと思いながら,実現できずに終わってしまったという人もおられるでしょう。(僕もそうですが。)

本日21日,僕は教員免許更新講習の講師として,「英語授業改善のあの手この手」と題した講習を行ってきました。

この免許更新制度はきわめて問題が多いと思いますが,どうせやるならお集まり先生にとって何か得るものがあり,お互いの経験交流を深め,ネットワークが築ければと思い,頑張りました。

さて,そうはいっても夏休みくらい旅をしたいもの。
現実が無理なら,せめて空想上の旅をしましょう。

ということで,2泊3日の「日本人と英語の出会いをたどる旅」に出かけましょう。

これは,大修館書店の『英語教育』2008年8月号の特集「英語教師のためのこだわりの旅」に寄稿したものをもとにしています。

旅程表は以下の通りです。

<1日目・長崎市出島>
長崎駅――出島――長崎駅――博多――岡山――中村(高知県

<2日目・高知県足摺岬
中村――土佐清水――足摺岬――ジョン万次郎像――ジョン万ハウス――中村――岡山――新大阪――白浜(和歌山県

<3日目・和歌山県紀伊大島>
白浜――串本――紀伊大島――白浜――南紀白浜空港――羽田空港――竹芝桟橋

では,出発しましょう!

<1日目・長崎市出島>

出島は西洋に開かれた窓

日本人の英語学習は幕末に長崎で始まったから、やはり初日はここだ。
ハウステンボスにも寄りたいが、研修願を出して来た手前、今回はパス。

最近は夏休みでも自主的な研修が取りにくくなった。授業もないのに学校に出て来いという。
2002年に文科省がおかしな通達を出してからだ。

あのころから病休や早期退職の教員が増え始めた。

今回の研修願にも校長は渋っていた。
最後は「教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる」という教育公務員特例法まで示して、納得してもらったが。
せめて授業で使えるネタを仕入れて帰ろう。

事前に片桐一男著『出島―異文化交流の舞台』(集英社新書)で予習し、いざ出島へ。

船ではなく、長崎駅前からレトロな路面電車で「出島」下車。

イメージ 1

10年越しの復元整備事業で、出島は充実した野外博物館になった。
 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima2/

市民ボランティアが親切に案内してくれる。
商館員の洋風部屋も調度品まで忠実に再現されている。

ビールもコーヒーもバドミントンも、みなこの出島から伝わったという。
小さな出島は、西洋文化の大きな窓だったのだ。

日本人の英語学習は「招かれざる客」から始まった。

200年ほど前の1808(文化5)年8月15日(旧暦)、イギリスの軍艦フェートン号がオランダ国旗で偽装し、長崎港に侵入したのである。

不意を突かれた日本側はなすすべもない。交渉しようにも誰も英語を知らない。
要求された食料や水などを差し出すしかなかった。

危機管理の甘さが露呈し、責任者は切腹
国家安全保障にとって外国語習得がいかに重要かを思い知らされた。

事件後、ただちに蘭通詞(らんつうじ:オランダ語通訳官)たちに英語の習得が命じられた。
その最初の成果が『諳厄利亜興学小筌(あんげりあこうがくしょうせん)』(1811年)で、英単語と基本英文を集めているが、haveを「ヘヒ」と発音するオランダなまりがキツいので、たぶん通じないだろう。

その3年後には日本最初の英和辞典『諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)』も完成。
所蔵する長崎歴史文化博物館で見てみたいが、大修館書店の複製本でがまんするとして、今は旅を急ごう。

今晩中には高知県中村市に着きたい。

(つづく)