希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「外国語教育の4目的」の50年(4)

第3回で紹介した1970年の「改訂4目的」をめぐっても、のちに批判的な検討が加えられました。

私がこの「4目的」を初めて目にしたのは、大学院生だった1990年ごろでした。

学部では社会科学を専攻していたこともあり、第1目的の「外国語の学習をとおして、世界平和、民族独立・民主主義・社会進歩のために、諸国人民との連帯を深める。」は、抵抗なくスッと入りました。
よい意味で、「あたりまえ」という感じでした。

1990年ごろには大学院の指導教官から推薦された中村敬先生の『英語はどんな言語か:英語の社会的特性』(三省堂、1989)などを読み、「英語帝国主義」という概念を受け入れていましたので、「諸国人民との連帯を深める」ために英語教育はあるという考えには共感できました。

この目的を理解していなかったなら、「英語は帝国主義の言語だ、だからやめてしまえ!」と短絡的に考えていたかもしれません。

英語教育の目的には「支配」と「連帯」という矛盾した二側面があるのですが、両者を統一的に理解しないと足をすくわれます。

その意味で、第1目的は、英語教育は帝国(グローバリズム)に奉仕するためか、「諸国人民との連帯を深める」ためかという、今も変わらない問題を提起しています。

しかし、第2目的の「労働を基礎として、思考と言語との密接な結びつきを理解する。」については、ここだけ妙に理念的で、「理屈はわかるんだけど、実践のスローガンとしては浮いている」という印象をもちました。

「理屈はわかる」というのは、経済学部の学生時代にエンゲルスの『猿が人間になるにあたっての労働の役割』やマルクスの『資本論』などを読んでいましたので、「労働を基礎として」という、言語の労働起源説そのものについては抵抗がなかったという意味です。

しかし、I love you. にしても I’m fine. にしても、実際の多様で多彩な言語表現を「労働を基礎として」で割り切るには相当な無理があると思いました。

また、それに続く「思考と言語との密接な結びつきを理解する」で終わっている点が中途半端な感じがしました。
つまり、「理解する」のはいいが、「だから具体的にどうするのか」という行動の指針になっていないことが不満でした。

第3目的の「外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知ることによって、日本語への認識を深める。」は、結論が外国語ではなく「日本語への認識を深める」で終わっていますので、はじめは意外な感じでした。

しかし、第4目的の「その外国語を使う能力の基礎を養う。」と関連づけて考えれば、「なるほど」と啓発される文章でした。

というのは、全員が履修することになった戦後の「国民教育としての」英語教育では、外国語を仕事などで使う必要のない人が多いのですから、外国語のスキルを身に付けさせるだけを目的としてはならないと思ったからです。

源氏物語」や「跳び箱」と同じように、仮に実生活で使わないとしても、学ぶ意味があるはずなのです。
その意味とは、ゲーテが「外国語を知らない者は自国語をも知らない」と述べたように、人は外国語と比較することで母語への認識を深め、それによって思考力や批判精神を鍛えることができる、ということです。

しかも、そうして豊かになった母語の力こそが、外国語の力を高める基礎になるのです。
そう思ったのでした。
(この考えは、その後ヴィゴツキーやカミンズなどを読むことで確信に変わりました。)

そのように理解すれば、続く第4目的の「その外国語を使う能力の基礎を養う。」はストンと心に落ち着きました。

さて、では当時の英語教育界の人たちは、「改訂4目的」(1970)について、どう思っていたのでしょうか。

たとえば、兵庫高校の教諭だった伴和夫氏は、1987年に次のように述べています(『伴和夫教育著作集Ⅰ英語教育の理論』p.45)。

「第3目的は、構造主義言語学による弱点を残している。『構造の違い』は狭いので、外国語と母国語の相対的比較を問うべく拡大の要がある。第4目的の『その外国語を使う能力の基礎を養う』は、第1、第2、第3の目的に立ったうえで、これを確実に実現拡充する必要がある。」

伴和夫氏は「労働を基礎として」を目的に入れることを積極的に提唱した一人でしたから、第2目的への批判はありません。

しかし、「労働を基礎として」の部分は1960年代末に激しい議論を巻き起こした部分だっただけに、実際にはさまざまな意見があったようです。

そうした紹介はあとに回すとして、1980年代の末に、「4目的」を育んできた教研活動に深刻な危機が訪れたことに触れなければなりません。

日教組の分裂です。

発端は、戦後の労働運動をリードした総評に代わる新たなナショナルセンターの設置問題、いわゆる労働戦線の統一問題でした。

日教組は1989年9月の定期大会で、日本労働組合総連合会(連合)への加盟を決定しました。

しかし、これに反発する単位労働組合は大会をボイコットし、同年11月に全日本教職員組合協議会を結成、1991年3月には日本高等学校教職員組合との組織統一により全日本教職員組合(全教)を結成しました。

ときあたかも、ベルリンの壁の崩壊(1989)による東欧社会主義政権の雪崩を打っての崩壊、そしてついには社会主義の総本山であるソビエト連邦の崩壊(1991)という世界史的な激動期と重なりました。

日教組の分裂により、教育研究集会も2つに別れて開催されることになりました。
2つの組合の路線を反映して、「外国語教育の4目的」も引き裂かれる運命になるのか、と誰もが思いました。

しかし、奇跡と言ってよいでしょう。

組合の分裂にもかかわらず、21世紀にふさわしい「外国語教育の4目的」に改訂するために、日教組教研の共同研究者である内野伸幸氏や私の恩師の青木庸效氏(当時、神戸大学教授)らと、全教教研の共同研究者である大浦暁生氏らは、それぞれの外国語分科会の参加者の声を聞きつつ、共同して改訂作業に取り組んだのです。

数年前に内野先生にお目にかかったとき、当時の共同改訂作業のご苦労をお聞きして、文字通り頭が下がりました。

こうした努力の結果、約2年の討議を経て、2001年2月に31年ぶりの改訂を実現しました。
これが今日まで引き継がれているのです。

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【外国語教育の四目的】(第3次)

1 外国語の学習をとおして、世界平和、民族共生、民主主義、人権擁護、環境保護のために、世界の人びととの理解、交流、連帯を進める。

2 労働と生活を基礎として、外国語の学習で養うことができる思考や感性を育てる。

3 外国語と日本語とを比較して、日本語への認識を深める。

4 以上をふまえながら、外国語を使う能力の基礎を養う。

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路線が異なる2つの組合教研の総意としてまとめたものとしては、実に良くできた目的論だと思います。
私の中にあったモヤモヤも、かなり晴れました。

個々の改訂のポイントや、出された意見については、次回にご紹介します。

(つづく)