誰のための、何のための外国語教育なのだろうか?
聞く、話す、読む、書くといった技能を伸ばすだけで、学校教育としての外国語教育は目的を達成できるのだろうか?
もし技能習得だけでいいのであれば、街角の英会話学校とどう違うのだろう?
教育基本法(1947)には、学校教育の目的が「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義とを愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と定めているが、英語教育の目的はそれとどう関係づけるべきなのか?
こうした疑問に答えるべく、英語教師たちは長い議論の末、1962(昭和37)年に「外国語教育の4目的」を確立しました。
今年は、それからちょうど50年目の節目の年です。
「4目的」はその後、1970年と2001年に改訂され、現在に引き継がれています。
英語教師たちが長い実践と議論の末に自前で確立した「外国語教育の4目的」を振り返ってみましょう。
当時、ほとんどの教員は日教組に加入していましたから、全国教研の外国語分科会は全国の英語教員の代表が集まり、実践と課題を確認し合う重要な場でした。
1961年の第10次全国教研の外国語教育分科会では、東京代表から以下のような「外国語教育の4目的」が提案され、翌1962年の第11次全国教研(福井)で、満場一で確認されました。
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【外国語教育の四目的】(第1次 1962年)
【外国語教育の四目的】(第1次 1962年)
1 外国語の学習を通して、社会進歩のために諸国民との連帯を深める。
2 思考と言語の密接な結びつきを理解する。
3 外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知ることによって、日本語への認識を深める。
4 その外国語を使用する能力の基礎を養う。
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この当時、英語教育界では米国のフリーズらが提唱するオーラル・アプローチが全盛期でした。
しかし、1959年の第8次全国教研の外国語教育分科会では、機械的な模倣と反復による習慣形成で英語が身に付くとするオーラル・アプローチに対して、「技術だけが関心事になっているが、何のために、を考えるべきである」(兵庫)として、目的論を確立する重要性を指摘する意見が出されました(『日本の教育』第8集)。
こうして、外国語分科会では次年度への課題として「国民教育としての英語科のあり方を明確にすること」を決定し、数年間の議論を経て、1962年に上記の「4目的」が確認されたのです。
この「4目的」は、パターン・プラクティスなどによる技能主義的なオーラル・アプローチ批判をベースとして、人間形成や人間の全面的な発達をめざす視点に立った英語教育実践を進める指針となりました。
「4目的」が誕生したもう一つの背景には、戦後民主主義教育を教員と共に担ってきた文部省が、1952年の日本の独立を契機に保守化を強めた与党の文教政策を直接的に担うようになり、現場教員との対立を強めたことがありました。
1958(昭和33)年には中学校の学習指導要領が法的拘束力を持つようになり、そこで定められた外国語教育の「目標」は、以下のように技能主義と英語国民(当時はアメリカ)理解を求める内容でした。
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学習指導要領(中学校外国語)の目標 1958(昭和33)年告示
学習指導要領(中学校外国語)の目標 1958(昭和33)年告示
1 外国語の音声に慣れさせ,聞く能力および話す能力の基礎を養う。
2 外国語の基本的な語法に慣れさせ,読む能力および書く能力の基礎を養う。
3 外国語を通して,その外国語を日常使用している国民の日常生活,風俗習慣,ものの見方などについて基礎的な理解を得させる。
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この指導要領には、それ以前の学習指導要領(試案)にあった、人格の完成や、平和や民主主義を担う国民を育てるため、といった理念が消えていました。
しかも、各学年で学習する文法材料を学年ごとに指定し、たとえば2年生で教えることを定めていた過去形を1年生で教えようとすれば、教科書が検定に通らず不合格になるという硬直したものでした。
「4目的」は、こうした動きに疑問を懐く教員たちに実践の指針を与えるものだったのです。
以後は、各地で検定教科書の批判的な活用や教材の自主編成などを進める実践が続けられました。
それらを通じて、「4目的」はさらにバージョンアップしていきます。
(つづき)