希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「外国語教育の4目的」の50年(3)

第1回で述べたように、英語教師たちの長い議論の末、1962(昭和37)年に「外国語教育の4目的」が確立されました。

3年後の1965年には、ユネスコの公教育会議が「中等学校の外国語教育に関する各国文部省への勧告59号」を提出し、その中で外国語教育の目的を以下のように提起しました。

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[8] 現代外国語教育の目的は、教育的であると同時に、実用的である。外国語教育のもたらす知的訓練は、その外国語の実際的使用を犠牲にしてなされるべきでない。一方、その実用的運用がその外国語の言語的特徴を十分に学習することを妨げてもならない。

[9] 外国語教育はそれ自身が目的でなく、その文化的、人間的側面で、学習者の知性と人格を鍛え、よりよい国際理解と、市民間の平和的で友好的な協力関係の確立に貢献することに役立つべきである。

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ここでは、公教育における外国語教育の目的が、単なる外国語技能の習得にとどまらない崇高な目的を持っていることを高らかに宣言しています。
この段階の国際的な到達点だといえるでしょう。

日本では明治の岡倉由三郎以来、目的論は「教養」と「実用」の間で振り子のように揺れ動いてきました。
そうした流れをふまえると、ユネスコの外国語教育目的論は今日読んでもよくできていると思います。

1960年代にはアフリカ、アジア、ラテンアメリカなどで植民地からの独立運動が高揚し、ベトナムでの民族解放闘争の高揚と国際的支援、対米従属路線を取る日本政府への反発も強い時期でした。

そうした情勢下で実践を続けていた英語教師たちの間からは、しだいに1962年の第1次「4目的」が不十分であるとの意見が出されるようになりました。

たとえば、第15次兵庫県教研(1966)では、第1項の「外国語の学習を通して、社会進歩のために諸国民との連帯を深める」に対して、「抽象的であり、民族としての主体性がないままに英語を学ぶことはアメリカ文化追随におちいることになる」といった批判や、「『四目的』が〔教材〕自主編成の内実をつらぬく明確な視点を与え得ていない」といった意見が寄せられました(林野滋樹・大西克彦『中学校の英語教育』p.49)。

こうして、1966年の第15次全国教研(福島)では、「4目的」の改訂が兵庫、新潟、東京の代表から出されました。

改訂案は特に、教育の全体目的と外国語教育の目的との関連を規定した第1項と、認識と言語教育との関係を規定した第2項をめぐるもので、主に以下のような改訂案でした。

第1項 民族独立の課題を中心にすえ、外国語学習を通して、平和と社会進歩のために諸国人民との連帯を深める。

第2項 労働を基礎として、思考と言語との密接な結びつきを理解する。

こうして、当時の内外情勢と教師たちの実践をもとに、「人間形成」、「民族の課題にこたえる」、「労働を基礎として」などをキーワードとして、以後数年間に及ぶ議論が続けられました。

特に議論の的になったのは、思考や言語の基礎に「労働」を置くことの是非でした。

「労働を基礎として」を入れるべきだと主張した林野滋樹は、「英語教育における<労働>の意義」(『新英語教育』1970年1月号)で、具体例を示しつつ、その意義を要旨次のように述べています。

(A) 労働とともに言語が発生したということ。

(B) いかほど発展を遂げた社会であっても、それをささえる基盤は労働であり、その労働とのかかわりを失えば、言語、思考は、空疎なもの虚偽なものへと堕する、ということ。

(C) 労働を破壊するもの、労働の果実を奪うもの、への怒り、たたかい。これは、平和、民主主義、独立、社会進歩などの問題と実は深く不可分にかかわることが明らかとなる。

以上に加えて、林野は「文法観における労働の視点」も提示しており、そこでは「『労働』による自然の変革が開始され、それが発展しはじめると、そこから『他動詞』の概念が打ち立てられてくる」といったユニークな考察をしています。

目的論をめぐる議論の渦中で、1968年には林野らが率いる新英語教育研究会関西ブロックから『新しい英語教育の研究』(三友社)が出版され、「4目的」改訂への理論的・実践的な主張をバックアップしました。

他方、以下のような反対論もありました(正慶岩雄『私説 民主的英語教育実践史』あゆみ出版、1993、p.61)。

「『労働』は一般の人には通じないことをおそれる。保留にすることを望む。註釈つきでなければ理解できないようなことばは不適当である」(大阪)

「なぜ『労働を基礎として』といわなければならないのかわからない。そのような表現には反対である。むしろ、『生活をとおして』とか『自主編成をとおして』とかいうべきだろう。特別なことばを無理して使うよりは実践で勝負すべきだ」(長野)

こうした議論を経て、1969年の第18次全国教研(熊本)では、1962年の第1次「4目的」の1項と2項に改訂案が併記されるという折衷的な措置がとられました。
論争に決着が付かなかったわけです。

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【外国語教育の四目的】(1969年の全国教研)

Ⅰ(1) 外国語の学習を通して、社会進歩のために諸国民との連帯を深める。(第11次)
(2) 外国語の学習を通して、世界平和、民族独立・民主主義・社会進歩のために、諸国人民との連帯を深める。(第18次)

Ⅱ(1) 思考と言語の密接な結びつきを理解する。(第11次)
(2) 労働を基礎として、思考と言語との密接な結びつきを理解する。(第18次)

Ⅲ 外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知ることによって、日本語への認識を深める。

Ⅳ その外国語を使う能力の基礎を養う。

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こうしてさらに1年間の議論を経て、1970年2月の第19次全国教研(岐阜)では改訂案を受け入れる形で新しい「4目的」が確認されました(日本教職員組合編(小野協一代表編集)『私たちの教育課程研究 外国語教育』1971)。

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【外国語教育の四目的】(第2次)

1 外国語の学習をとおして、世界平和、民族独立・民主主義・社会進歩のために、諸国人民との連帯を深める。

2 労働を基礎として、思考と言語との密接な結びつきを理解する。

3 外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知ることによって、日本語への認識を深める。

4 その外国語を使う能力の基礎を養う。

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この第2次「4目的」は実に31年にわたって継承されていきました。

しかし、2001年2月には、ついに再度の改訂がなされます。

(つづく)

(注記)
「外国語教育の4目的」は、1962年の確立から受け継がれる過程で、誤って引用される事例が少なからず発生し、今日出版されている様々な書籍等を見ても字句に相違が見られます。
たとえば、1項では「連帯をめる」、3項では「日本語への理解を深める」などです。

そのため、可能な限り初出に当たってテキストを確定しました。
その過程では、柳沢民雄氏、瀧口優氏にたいへんお世話になりました。記してお礼申し上げます。