希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

和歌山県英語教育史(13)

高校入試への英語の導入

1948(昭和23)年度に発足した新制高校の入学者選抜にあたっては、和歌山県の場合、機会均等の立場から、最初の2年間は高校側での選抜検査はいっさい行われず、中学校からの報告書だけで入学者が決められた。

ただし、報告書に必要な学力検査(国、社、数、理のアチーブメント・テスト)は高校で実施され、結果が各中学校に返送される方式だった。

1950(昭和25)年度からは検査科目が必修8科目になったが、外国語(英語)は選択科目だったために除外された。

そのため、英語教員や高校関係者を中心に、高校入試に英語を加えよという動きが強まった。
1950年に発足した全国英語教育研究団体連合会(全英連)はその中核となった。
その会長は後に紹介するように和歌山県出身の高橋源次である。

この当時、英語を選択しない中学生がかなりおり、その割合は上級学年ほど高かったから、ただちに英語を入試に加えることは困難だった。

参考までに、愛知県の公立中学校における1954(昭和29)年度の英語履修率は、中1がほぼ100%ながら、中2は76%、中3は61%にすぎなかった(『英語教育』1955年5月号、32頁:寺沢,2013参照)。

高校進学率は1954(昭和29)年度に全国平均で初めて50%を超え、和歌山県でも同年度に51.9%に達した。

大学進学者も増える中で、和歌山県教育委員会は1956(昭和31)年度から学力検査科目として必修8教科以外に選択科目(英語または職業・家庭)を加えることを1954(昭和29)年5月に発表した。

しかし、当時は履修率のばらつきに加えて、英語教員の質や時間数が不均等で、地域や学校による学力格差が著しかった。

また、生徒の過重な負担を心配する声も多く、県中学校長会、各地区の中学校PTA、和歌山県職員組合などが反対運動を展開した。

1956(昭和31)年1月28日には第1回学力検査問題作成委員会が桐蔭高校で開催されたが、中学側委員の28名全員がボイコットするという異常事態の中で、県教委側、高校側、地方教育局側の委員だけで方針を決定した。

その結果、総計170点満点中、英語などの選択科目は必修科目の半分の10点満点とし、基礎的な問題を中心に出題するなどして、1956(昭和31)年度入試から予定通り高校入試に加えることに踏み切った。

背景には文部省の指導もあった。
何らかの形で英語を高校入試に課す都道府県は、次のように増加していった(河村,2010:53)。

1951年度(3) 1952年度(3) 1953年度(12) 1954年度(23) 1955年度(32) 1956年度(41) 1957年度(44) 1958年度(45)

1955(昭和30)年当時の和歌山県下の中学校における英語教育の実態の一端は、「生徒父兄が乗気薄 先生の熱も消える」と題された『和歌山新聞』(1955年7月3日付)の次の記事からうかがえる。

「一般に英語教育の悩みはへき地ほど大きく教員の研修にも地域的制約から折角の講習会、研究会にもほとんど参加の機会がなく本を求めるにも書店、図書館はなくその上、生徒、父兄の英語に対する無関心から教員もいつしか情熱を失い平常平凡な授業で当面を糊塗しているという、このため外部からの刺戟としても県費で講習会研究会をつとめてへき地にも開催してほしいとの声が圧倒的、また生徒側では日常生活に無関係の英語をただ高校入学とのみ結びつける傾向が強く、高校志望者と、そうでない生徒との間にはますます学力差を大きくしており、ひどいのは3年生ともなれば選択になるところから2年間さえ我慢すればと歯を食いしばっている生徒さえ多いという。」

記事の最後にある「3年生ともなれば選択になる」という文言には、少し説明が必要かと思う。

1947(昭和22)年に出された学習指導要領(試案)以来、新制中学校の外国語は長らく選択科目という位置付けだった。
しかし実際には、学校側が学年ごとに外国語(英語)を履修させるかどうかを決定し、生徒による選択を制限した学校(地域)もあった。

上の記事では、中学校の1・2年は学校が外国語の履修を決定し(つまり事実上の必修)、3年生だけは生徒に履修を選択させたことがわかる。
これには、興味関心のみならず、高校進学か就職かという進路などが関係していると思われる。

さて、1956(昭和31)年3月の和歌山県の高校入試で初めて出題された英語の問題は、次のようなものだった。
すべて選択式で、1問1点の10点満点だった。現在とは隔世の感がある。


1. 次の (A) (B) に日本語に相当する英語を1つえらんで、その番号を○でかこみなさい。

  (A) 絵  1. wall 2. picture 3. paper 4. chair
  (B) 花  1. flower 2. window 3. bird 4. spring

2.  次の (A) (B) の問に対する答のうち、正しいものを1つえらんで、その番号を○でかこみなさい。

  (A) Can he play tennis?
  1. Yes, he does. 2. Yes, he can. 3. No, he doesn’t. 4. No, he can.

(B) Where is his house?
  1. There is on the hill. 2. There is on the hill. 3. It is on the hill. 4. They are on the hill.

3.   次の (A) (B) の1番左側の語の下線の部分と、その右側の(  )内の語の下線の部分とをくらべて、発音の同じものを1つえらんで、その番号を○でかこみなさい。

  (A) hat (1. all 2. cat 3. table 4. many )

  (B) head (1. speak 2. eat 3. teach 4. bread )

4. 次の1 ― 4の文の中には、正しいことがらを述べている文が2つ、まちがったことがらを述べている文が2つあります。正しいことがらを述べている2つの文の番号を○でかこみなさい。

  1. English is not spoken in England.
  1. Saturday comes after Friday.
  2. The sun is larger than the moon.
  3. We go to a post-office to buy books.

5. 次の (A) (B) の日本文に相当する正しい英文をえらんで、その番号を○でかこみなさい。

  (A) 昨日あなたは公園へ行きましたか。
   1. Do you went to the park yesterday?
  1. Did you went to the park yesterday?
  2. Did you go to the park yesterday?

(B) これはお父さんが私に下さった時計です。
   1. This is the watch what my father has given me.
  1. This is the watch that my father has given me.
  2. This watch is given me from my father.


和歌山県立高校入学者学力検査科目の変遷は下の通りである。

1948・49 アチーブメント・テスト(国、社、数、理)
1950~55 必修8教科
1956~62 必修8教科と選択科目(英語、職業・家庭)
1963~67 必修8教科と英語
1968~ 国、社、数、理、英の5教科

1963(昭和38)年度には選択科目の試験を英語だけに限り、1968(昭和43)年度からは英語を加えた5教科入試にするなど、選択科目だった英語の比重が徐々に高まり、事実上の必修科目に変貌していった。

なお、中学校の英語が正式に必修科目となったのは2002(平成14)年度からである。
政策変更というよりも、なし崩し的な現状追認といえよう。

【参考文献】
河村和也(2010)「新制高等学校の入試への英語の導入 (1):その経緯と背景に関する基本問題」『日本英語教育史研究』第25号、日本英語教育史学会

寺沢拓敬(2013)「新制中学校英語の『事実上の必修化』成立に関する実証的検討:《国民教育》言説および社会構造の変化との連関を中心に」(東京大学総合文化研究科博士学位論文;未刊行)

(つづく)