希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

和歌山県英語教育史(14)

戦後の英語教育界をリードした和歌山県出身者

戦後の日本の英語教育界をふり返るとき、和歌山県出身者の活躍を見過ごすことはできない。
代表的な数人に限り、紹介したい。

高橋 源次(たかはし・げんじ1899~1988)

高橋は1899(明治32)年に和歌山県那賀郡池田村(現紀の川市)に生まれ、県立粉河中学校(現粉河高校)を経て、同志社大学文学部英文科を卒業し、明治学院大学学長などを歴任した。

イメージ 1

この間、高橋は敗戦直後の1945(昭和20)年10月から1949年まで、全国中学校長協会(のちの全国高等学校校長会)の常任理事を務め、1950(昭和25)年に全国英語教育団体連合会(全英連)が結成されると初代会長に就任した。

副会長には和歌山県立耐久高校校長の佐山武夫が抜擢された。
佐山は1948(昭和23)年に設立された和歌山県高等学校英語教育研究会(現和歌山県高等学校教育研究会英語部会:和高英研)の初代会長も務めていた。

こうして1953(昭和28)年には、全英連の初めての地方大会である第3回全国大会が和歌山市県立和歌山商業高校で開催された。

この大会では、公開授業に加え、高校入試に英語を課すことの是非(前述)や、中学校の英語を必修にすべきか否かなどが協議された。

なお、高橋は1951(昭和26)年に改訂された文部省「中学校・高等学校学習指導要領外国語科英語編(試案)」の編纂委員長を務めた。

この指導要領は英語教育専門家、中高の英語教師、文部省が三位一体で作り上げた全3巻759ページの大作で、英語教員の優れた指導書となった。

イメージ 2

高橋には英文学関係や英語教科書、辞書など多数の著作があるが、彼の英語教育観を凝縮した著作は『英語教育展望』(英語教育協議会出版部、1977年)である。

(つづく)