英語教育政策の異常さが、英語関係者以外にも認識されつつあるようだ。
小熊さんは、政府が進めようとしている小学校英語を教科とし、成績評価も行うとする動きに対して、特に政策決定の「拙速さ」に警鐘を鳴らしている。
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「英語教育は必要だ。だが江利川春雄「『グローバル人材育成』論を超え、協同と共生の外国語教育へ」(『現代思想』4月号)は、現在の方針に疑義を呈している。その理由は「学問的・実証的な根拠がなく、専門家不在のまま(あるいは御用学者を集め)、政治家や私的諮問機関による思い込みと思いつき、利権への思惑によって方針決定がなされている」からだという。以下、江利川の主張を見てみよう。
まず日本では、仕事で英語を頻繁に使う人は1~2%、時々使う人を加えても10%前後にすぎない。そのため経団連が14年に行った調査では、企業が採用時に重視するのは「コミュニケーション能力」87%、「主体性」65%、「チャレンジ精神」55%で、「語学力」は6%だ。この事情が変わらないまま、英語教育だけを強化しても限界がある。
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上記の英語使用率は、寺沢拓敬さんの『「日本人と英語」の社会学』(研究社、2015)に基づくものだ。
こうした現状認識の上に、次のように展開する。
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「教育学者によると、語学教育は低年齢の方が難しく、専門的な能力が必要だ。英語教育早期化には相当の準備がいる。しかし今年度の文教予算のうち英語教育強化関連は約7億円で、全国の小中高校数で割ると2万円に満たない。「必要な条件を整えずに無謀な作戦を命じる。その悪(あ)しき体質は戦前の軍部と変わらない」と江利川はいう。
また江利川は、英語教育早期化の方針が、専門家不在の私的諮問機関の提言をもとに、性急に閣議決定されたことを問題視している。この方針は、13年の「第2期教育振興基本計画」で決定された。しかし専門家が集まる中央教育審議会の教育振興基本計画部会の答申には、こうした方針は入っていなかった。この方針は、安倍首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の提言に書かれていたものである。」
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まさしく、教育の素人である政治家たちが、学問的知見も、実証的なデータもなしに「思いつき」「思い込み」で政策を立てることが、どれほど教育を破壊することか。
その点で、現政権は異常きわまりない。
小熊さんは、最後に次のように述べている。
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「教育政策で拙速な政策決定がなされがちな背景について、藤田英典「『教育再生』を問い直す」(『現代思想』4月号)はこう指摘している。教育は有権者の関心が高く、政治家が実績作りの対象にしやすい。しかも教育改革の影響は短期的には表面化しないし、悪影響があったとしても「何が原因かということを特定することはほとんど不可能」である。そのため、「実績づくりにはなっても、結果に対して責任を取らなくて済む」のだという。
こうして様々な「改革」が実行されるなか、予算削減で教育の現場は厳しくなっている。OECDの国際教員比較調査では、14年の日本の小中学校教師の勤務時間は参加国最長だ。非正規教員も急増し、義務制では17%に及ぶ(中村文夫「まち、子ども、学校、そして、そこに働く人々」『現代思想』4月号)。
一方で、学外教育にお金をかけられるか否かで、家庭間格差が広がっている。だが教員が多忙なため、児童の学力格差を補正する手間がかけられない。このまま小学校の英語教育教科化を進めても、学校での教育効果があがらないままで、中学受験の入試科目化する可能性がある。そうなれば、学外の英語教室に通える児童と、それ以外の格差が拡大すると江利川はいう。
英語教育学者の金森強は、本紙5月14日付の「小学校の英語」でこう述べている。「『必要だ、急げ、もう議論はいらない』などではなく、何をどう教えたらどういう効果があるのか、データを十分に集め、検証し、小学校から始める英語教育の在り方について議論を重ねるべきです」。妥当な意見というほかはない。」
英語教育政策があまりにも異常なため、若い世代にも危機感が広がっている。
今年、沖縄の大学から入学してきた院生も、新自由主義的な英語教育政策を批判的に研究したいという。
いずれも、僕の『英語教育のポリティクス』(2009)や、僕ら4人組の『英語教育、迫り来る破綻』(2013)、『学校英語教育は何のため?』(2014)などを読んで共感したという。
他にも、4人の学部生から「大学院で学びたい」とのオファーを受けている。
(今年は特に多い。嬉しい悲鳴。)
(今年は特に多い。嬉しい悲鳴。)
あまりにも異常な教育政策に対して、英語教育関係者以外の間にも、若い学生の間にも、危機感と問題意識が広がっているようだ。(英語教育学者の反応は鈍いようだが。)
しっかり受けとめ、共に学び、まともな外国語教育にしていこう。