7月19日(日)に東京北千住の東京電機大学で開催された日本英語教育史学会に先立ち、出版社との打ち合わせもあって18日(土)に東京へ。
当然ながら安倍政権の支持率は急速に低下しましたが、まだ3割以上も支持しているということの方が驚きです。
アメリカ政府と超国家企業の意志を代弁し、国民の意思をここまで土足で踏みにじる凶暴な政権を他に知りません。
白井聡さんが『永続敗戦論』で明らかにしているように、第二次大戦に無条件降伏した「敗戦」ののちに、日本の保守政治家たちは戦争責任の訴追を免れ、公職に復帰するために、アメリカ政府に忠誠を誓う下僕となりました。
「自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な従属を続ける」(『永続敗戦論』48頁)。
こんな連中に限って「愛国心」を説教するのですから、嗤(わら)わせます。
さて、戦争と英語教科書の関係については本にまとめたのは今回が最初ですが、大学院で英語教育題材論を専攻して以来、この問題はずっと追い続けていました。
ちょうど10年前の2005年7月に、敗戦直後の「墨ぬり」英語教科書の展示会に関する私たちの取り組みが、朝日新聞夕刊の1面(大阪本社版)に載りました。
あれから10年。
事態はもっとひどくなっています。
再び<英語教科書と戦争>の問題を訴え続けなければならないとは、しかももっと危機感をもって訴えなければならなくなるとは思いませんでした。
あきらめずに、訴え続けなければなりません。
そのために、この10年で研究も進みました。
<英語教科書と戦争>の歴史を、明治初期から通史的に描けるまでになったのです。
<英語教科書と戦争>の歴史を、明治初期から通史的に描けるまでになったのです。
デモや集会で訴えることはとても大切ですが、研究者は自身の研究領域に即して訴えることも大切だと思います。
その点で、7月14日に京都大学有志が発表した声明にはたいへん感動しました。
その一部を紹介します。
戦後70年間、憲法9条のもとで戦争を放棄してきた日本。声明書は、こうした姿勢を変えて米国との関係を強化したうえでの「積極的平和主義」を推し進めようとする安倍政権に疑問を投げかける。そして、太平洋戦争で大学が戦争に協力したことへの反省も込め、決意を示す。
〈学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。〉
藤原さんが1分半ほどかけて読み終えると、教室内に拍手が10秒ほど続いた。