希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

和歌山県・宮原小学校の驚異的な協同教育

2月20日(月)、ゼミの学生・院生と共に、和歌山県有田市立宮原小学校を訪問しました。
本年度3度目です。

見学させていただいたのは1年生の算数。

協同的な教育実践において、藤井英之校長率いる宮原小学校は全国でもトップレベルに達していることを再確認しました。

まさに、驚きの授業でした。

これまで協同学習は困難だと言われていた小学校1年生ですが、児童同士が深くかかわり合い、さりげないケアをしながら、仲間と共に学び合い成長していく姿に強く感動しました。

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とりわけ、私が観察の中心に置いたA君は特別な支援が必要と思われる子でしたが、教師からの働きかけはごく短時間の1回のみでした。

それ以外のほとんどの時間では、周囲の子どもたちが自然体で接し、かかわり合っていました。

それこそが、A君への「特別ではない支援」になっていました。

最後の確認テストでA君が満点を取り、先生から大きな○をもらったときの嬉しそうな、自信に満ちた表情が忘れられません。

宮原小学校では教室に教師のいる授業と、いない自習の授業での確認テストの成績がほぼ同等か、むしろ教師のいない授業の点数が高いと伺いました。

このことは何を意味するでしょう。

授業とは教師が教えるもの、授けるものという積年の固定概念を打ち破る必要性を痛感しています。

というか、すでに実践によって打ち破られているのです。

教師の役割とは、学びのコーディネーターに徹し、いかに子どもの主体性を引き出すか、内的動機付けを高めるかに基軸を置くべきであることを、宮原小学校を見学するたびに強く思います。

そうなると、私たちのような大学での教員養成の責任は重大です。

今後、どれだけ協同的な学びをコーディネートできる教員を大学で育成できるかが、火急の課題として問われています。

また、教育行政も、このような素晴らしい実践を展開されている宮原小学校からもっと学び、授業・学校改革のモデルとして、その実践的な知見を各校に広げるべきだと思いました。

文科省国立教育政策研究所の関係者や県外からの来訪者が多いのに比べて、行政の対応の鈍さに寂しさと危機感を感じます。

この3月には藤井校長が退職され、また多くの教職員の異動もあるように伺っています。

異動は一般に授業・学校改革の大きな障害にもなります。

これまで培ってこられた実践経験と知見を来年度以降もぜひ継承し、また異動先の学校での授業改革に活かして頂きたいと切に願っています。

そのために、及ばずながら今後とも協力できれば幸いです。

というか、今後も同校の卓越した実践から多くを学び取りたいです。