希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

追悼 高梨健吉先生

すでにお知らせしたように、慶応義塾大学名誉教授の高梨健吉先生が3月20日(土)に逝去された。

あの悲しい知らせを受けた日から1ヶ月が経ち、ささやかな追悼の言葉を述べることができるようになった。

人格で人を育てた高梨健吉先生

運命を変える日というのが人生にはある。
1990年10月21日がその日だった。

大阪から上京した僕は、初めての英語教育史学会月例研究会で高梨健吉先生にお目にかかった。
院生にして予備校教師だった僕にとって、高梨先生は英語参考書の神様。
その神様におずおずと近づいた僕は、畏れ多くも、持参した『日本の英語教育史』にサインをお願いした。
先生は少しはにかんで、すばらしい達筆でサインしてくださった。

異文化理解教育論だった大学院の研究テーマを日本英語教育史に変えたのは、この直後だった。
以来、高梨先生にはどれほどお世話になったことだろう。

研究会のあとの楽しい二次会。
先生の定位置はいつも一番奥の隅。もの静かにパイプをくゆらせる先生のもとに、僕はお銚子を運んでお話をさせていただく。これが無上の楽しみだった。
何を質問しても答えてくださった。お話しに出た本を僕が持っていないと、先生は手帳にメモされ、数日後には御蔵書を書留で送って下さった。
最初の一冊が、赤祖父茂徳編『英語教授法書誌』(1938)。お手紙には「二部コピーし、一部は青木庸效先生(大学院の恩師)に」と書かれてあった。
温かいお人柄だった。

あるとき、高梨先生の代表作である『日本英学史考』(1996)の書評を研究社の『現代英語教育』から依頼された。
30代の僕には重すぎる宿題だった。「この書評に失敗すれば、僕は英学史・英語教育史の学界にいられなくなる」と思い詰めた。
この大著を1カ月間ずっと読み返し、なんとか原稿を書いた。
高梨先生からお褒めの葉書を頂いたときの安堵感。
何よりも、先生の文章を繰り返し読むことが大いに修業になった。一文が短い。簡潔で分かりやすい。迫力とリズムがある。「読み手を想像しながら書くんですよ」とおっしゃった。
先生には遠く及ばないが、僕の文体はこの本との出会いを境に変わったように思う。

僕の拙い文章が雑誌や紀要などに載ると、先生はいつも達意の毛筆でお褒めの言葉を書き送ってくださった。どれほど励まされたかわからない。

高梨先生はもの静かな人だった。例会の感想も、葉書の文面も簡潔そのものだった。
なのに、先生の教育者としての力は巨大だった。
先生が座っておられるだけで、例会が引き締まった。
その学識と人格で、先生はどれほど多くの人を育てたことだろう。

先生に御礼を申し上げたくても、もう先生はおられない。
僕らにできる恩返しは、先生が育ててこられた学界のために力を尽くすことしかない。

高梨先生、本当にありがとうございました。
どうか、安らかにお眠りください。

        (写真)日本英語教育史学会の月例研究会で高梨先生と(1999年)

イメージ 1