*写真は1959(昭和34)年5月20日発行の第10版
ギターでも1950年代のビンテージものは、しばしば数百万円から1千万円を超す。
レアなだけでなく、音がいいのだ。
レアなだけでなく、音がいいのだ。
英語参考書もそうなのだろうか。
この連載「英作文参考書の歴史」の第12回・須藤兼吉『英作文新講』(1950)から前回の第20回・加賀谷林之助『大学受験 和英・英作徹底講義』(1955)まで、たった6年間。
この連載「英作文参考書の歴史」の第12回・須藤兼吉『英作文新講』(1950)から前回の第20回・加賀谷林之助『大学受験 和英・英作徹底講義』(1955)まで、たった6年間。
その1950年代前半に、誰もが苦手な英作文をいかに教えるかについて、様々な試みがなんともダイナミックに展開されていた。
そうした延長上に、小沢準作・三井平六『研究英作文』(1956)がある。
ハイレベルの、格調高い参考書だ。
現在なら、大学生や大学院生用としても十分に使える。
使えるどころか、これが使いこなせたら修論を立派な英語で書けるだろう。
ハイレベルの、格調高い参考書だ。
現在なら、大学生や大学院生用としても十分に使える。
使えるどころか、これが使いこなせたら修論を立派な英語で書けるだろう。
僕も高専生だった1970年代初めに、三木の『人生論ノート』や『哲学ノート』を読んだものだった。
(もっとも、同じ『哲学ノート』でも、大学時代に読み耽ったレーニンのヘーゲル弁証法批判の方が遙かに知的に興奮したが。)
(もっとも、同じ『哲学ノート』でも、大学時代に読み耽ったレーニンのヘーゲル弁証法批判の方が遙かに知的に興奮したが。)
福原が多いわけは、この時代の優れた散文家だったという理由に加えて、著者らが福原の同僚や弟子であったことが大きいだろう。
小沢準作は1921年に東京高等師範学校英語科を、三井平六は1941年に東京文理科大学英語英文科を卒業している。
小沢準作は1921年に東京高等師範学校英語科を、三井平六は1941年に東京文理科大学英語英文科を卒業している。
本書の内容構成は以下の通り。
第1編 作法の研究
第2編 動詞を中心としての文型の研究
第3編 文法にそっての研究
第4編 自由英作文の研究
第2編 動詞を中心としての文型の研究
第3編 文法にそっての研究
第4編 自由英作文の研究
どこも素晴らしいが、特に光るのが第2編「動詞を中心としての文型の研究」だろう。
ここでは、英文の基本形を25の文型に分類して詳述している。
この手法は第15回で紹介した佐々木高政の『英文構成法』(1949)でも採用された方式だ。
5文型を理解したあとの日本人学習者が、英語の文型を体系的にマスターするには、たいへん効果的であろう。
「文型10」を例にとると、S + V +(that) Clauseのタイプが8個列挙され、解説が付く。
この文型にそって例題を解くのだが、その例題には東大、名大、北大の入試問題などとともに、福原麟太郎や夏目漱石の文章が取り上げられている。
最高レベルの日本文も、「文型10」を使えば見事に英訳できるわけだ。
感動的ですらある。
この25の文型で英文の骨格を形成したのちに、第3章「文法にそっての研究」で細部を仕上げる。
この流れはとても良いと思う。
この流れはとても良いと思う。
最後は第4編「自由英作文の研究」で、いよいよこれまでの学習成果の集大成である。
それにしても、これほど知的教養に満ちた英作文参考書が3年足らずの間に10版を重ねたという事実を、僕らはどう解釈すればよいのだろう。
たしかに、1950年代には高校に進むこと自体がまだエリート的であり、いわんや大学に進学する者はさらにエリートだった。
ではあるが、文法に続いてライティングまで学習指導要領から削除してしまった文科省と御用学者の愚行を目の当たりにする今日、1950年代に築かれた地平をここまで液状化させてしまった当事者責任と、なんとも言えない汚辱感を、僕はあらためて感じる。
英語教育の退化を食い止める方策を真剣に考えよう。
そのヒントが、1950年代のビンテージ参考書にはある。