5. 英文和訳が絶滅危惧種となった背景
大学入試問題では、英文和訳、とりわけ短文の全訳が「絶滅危惧種」となりました。逆に英文の長文化と平易化、客観問題化、総合問題化が進んだことをこれまで述べてきました。
では、そうした背景には何があったのでしょう。
(1)文部省の行政指導
原因の一つは、戦後直後の占領下から、文部省が「戦前的な英文和訳、和文英訳偏重」を是正するように執拗に勧告したことが挙げられます。
文部省は、新制大学が発足し始める1948(昭和23)年から「学力検査問題作成の参考資料」を作成し、入試の標準的例題を提示します。
大学教員に対して、「こんな感じで入試問題を作りましょう」という例示をしたわけです。
大学教員に対して、「こんな感じで入試問題を作りましょう」という例示をしたわけです。
これによって、「各学校の入学試験の形式は全く一変した」(『傾向と対策 昭和29年版』1953)と言われています。
さて、そうした文部省による行政指導の中身を見てみましょう。
面白いことに、1950年代に出された旺文社の『傾向と対策』を読むと、文部省による入試出題への行政指導の内容が詳細に記述されています。
行政指導が出題傾向に大きな影響を与えると判断したからです。
行政指導が出題傾向に大きな影響を与えると判断したからです。
『傾向と対策 昭和29年版』(1953)によれば、文部省は「戦前の英文和訳、和文英訳偏重に逆転して行く傾向を戒め、聞く力、話す力を土台として書く力、読む力を錬磨することによって得られた英語の総合能力をテストするような出題方針を強調」しているとあります。
なんだか、現在と変わりませんね。
同じことをず~と言い続けているわけです。
同じことをず~と言い続けているわけです。
興味深いのは、「戦前の英文和訳、和文英訳偏重に逆転して行く傾向」があると述べている点です。
実際、和文英訳、とりわけ全文和訳問題を出題する主要大学は、1950年が4割だったのに、1953年には6割に増加します。
その理由は、本連載の第2回でも述べましたが、「これら〔英文和訳や和文英訳〕はいわゆる主観的テストとして終戦後一時排斥された時代もあったが、やはりこの方法によらなければ受験生の綜合的語学力を十分しらべることができない」(『昭和31年度大学入試 英語問題の徹底的研究』)というものでした。
大学教員にしてみれば、文部省の指示に従って客観問題を作ってみたが、入学者の学力を見ると「これじゃだめだ~」と思ったわけです。
そこで、「採点はしんどけど、英文和訳のような問題に戻そう」と決めたわけです。
この気持ち、僕にはよ~くわかります。
教員は、学生の学力や将来のことを考えると、しんどくても頑張るのです。
この気持ち、僕にはよ~くわかります。
教員は、学生の学力や将来のことを考えると、しんどくても頑張るのです。
しかし、現場を知らない文部省官僚の行政指導は執拗に続けられます。
文部省は戦前には軍部の言いなりでしたが、敗戦占領下ではアメリカの言いなりになりました。
(普天間基地問題を見れば明らかなように、こうした政府の体質は現在も変わっていません。英語教師にも責任がありますが、そのことは今は置いておきます。)
(普天間基地問題を見れば明らかなように、こうした政府の体質は現在も変わっていません。英語教師にも責任がありますが、そのことは今は置いておきます。)
そのアメリカでは、このころ○×式や記号選択などの「客観テスト」が主流となり、こうした評価法を日本にも求めたのです。
文部省は、これに従ったわけです。
(文部〔科学〕省の個々の職員は有能で正義感が強い人が多いのですが、組織となると、どうも軍部、アメリカ、財界、与党に追随してしまうようです。)
文部省は、これに従ったわけです。
(文部〔科学〕省の個々の職員は有能で正義感が強い人が多いのですが、組織となると、どうも軍部、アメリカ、財界、与党に追随してしまうようです。)
文部省の「客観的な評価法」の推奨は、独立後も続きます。
文部省は『問題作成の参考資料 外国語科編』(1956:昭和31)で、「改善を要する傾向」として、まっ先に「英文和訳、和文英訳偏重の傾向がまだ強い」と指摘しています。
しつこいですね。
ストーカーみたい! (^_^
こうして、同年には早大(商)、日大(工)などのように、英文和訳の問題を課さない大学も登場します。
『英語の傾向と対策 昭和33年版』(1957)は、「これは文部省の指針に従った証拠である」と分析しています。
『英語の傾向と対策 昭和33年版』(1957)は、「これは文部省の指針に従った証拠である」と分析しています。
これまで、高校までの教育課程を考察する手段として、多くの研究者が文部省の「学習指導要領」に関心を集中してきました。
さらに、実は文部省以外からも入試作成に圧力が加えられていました。
次回はその点を考察しましょう。
次回はその点を考察しましょう。
(つづく)